ま、負け惜しみじゃねぇよ!

 
 ヤフオクで詐欺に遭ったですこです。
 詳細は追って述べよう。まだ始まったばかり、騙されたてホヤホヤなのです。
 これは格好つけてる訳じゃなくて、不思議と怒りはあまり無いんだな。それよりも自分の卑しさによる羞恥心が勝る、という心理を突くのが詐欺の王道でもあります。
 一番気になるのはぼくを騙した詐欺師の現在で、彼は毎日どうやって過ごしているのだろうか、ということ。ビクビクしているのか、それとも札束を天井に放り投げているのか。なにより、セコイ金額と見合わない罰を受ける事を、彼は知っていたのだろうか? 余計なお世話か。
 
 ぼくは初期の浅田次郎が大好きで、その頃の著作にも詐欺師の例が出ていて、その詐欺師は捕まることを前提として詐欺を働いていた。いわゆる原野商法というやつで、額は数億と桁外れだが、額にかかわらず泣き寝入りや諦念のパーセンテージはどうやら決まっているようで、ヤマが大きければ大きいほどカネになる。
 もちろん捕まる事は前提としているから、詐欺師は若干の被害者にカネを返し、裁判で酌量を得る事も計算済みである。
 臭いメシを数年我慢すれば、あとは口座に数億円が残っている、という訳だ。
 
 犯罪、とくに営利犯罪というのは、社会という巨大なフィールドにたった独りで挑む孤独な戦いでもある。
 稚拙な例かもしれないが、カンニングを極めれば医者になれるのだ。それとは別に、独学の見よう見まねの無免許医師なんかも実在してニュースになったりと、ぼくはなぜかそこに、擬態をする昆虫に夢中になっていた少年時代と同値のロマンを感じてしまうのだ。
 中でも詐欺師は抜群に面白い。最も有名かつ強烈なのは、佐木隆三復讐するは我にあり』のモデルになった西口彰だろう。今村昌平によって映画化もされているし、近年は韓国映画でも取り上げたようだ。今村監督は『楢山節考』も映画化しており、そのどちらの原作も好きなぼくは、なにか因果を感じる。
 
『悪』とは元来、強い者を意味する。それで人を騙そうとするのならば、なおかつ大賢者でもなくてはならない。後天的に知武勇を独学で獲得した賢者を、真の犯罪者と呼びたい。未来の歌舞伎のためにも。
 
 犯罪、バンザイ!
 でも、カネは返してくれないか。