自殺するということ

 
 中高生の自殺が話題になっていますが、ここ数年の年間自殺者が3万人を超えているわけですから、3万人といえば、例えば北海道なら名寄市の人口とほぼ同じですから、毎年その規模の都市が消滅しているという事です。
 官報によりますと平成17年度の交通事故死者数はおよそ7千人ですから、いくら交通安全や少子化対策を謳ったところで増え続ける自殺をなんとかしないと焼け石に水だという事は明らかであります。
 ニート、フリーター、良くて偽装請負、さらに厚生労働省は『自律的労働時間制(ホワイトカラー・エグゼンプション)』の導入も検討してるので、辛うじて正社員になったところで残業代は出ないでしょう。週休二日なんかなくなります。ホワイトと呼びつつ、お先真っ暗であります。
 これからも自殺者と犯罪者(特に詐欺)はますます増えると思います。そうなると今度は過剰防衛が始まり、弱者は差別をされていくのみならず、ストレスの溜まった中流の鬱憤を発散するべく《新しい差別》を政府は創り上げるかも知れません。これは大袈裟な話ではありません。歴史は繰り返します。
 
 自殺といえば、わたしの親族は二人自殺をしています。
 一人は父方の祖父ですが、疎遠だった為に詳しくは知りません。
 憶えているのは、まだわたしが4歳くらいの時に、祖父が「カレー食べるか?」というので、「うん」と答えるとカレーライスではなく“カレイの煮付け”が出てきたことです。わたしは騙されたと思って泣いた記憶があります。いま想えば4歳の子供に煮こごりを食べさせるだなんて、頭がオカシイです。
 もう一人は叔母です。育児ノイローゼで首を吊りました。確かまだ二十代だったと思います。非常に明るく活発で、ウィットな人でした。いつかわたしの目の前でタバコを食べて見せました。シガーチョコではなく、間違いなくタバコです。サプライズが好きなちょっとエキセントリックな人だったのかも知れません。
 お葬式の事はまだ幼かったのであまり憶えていませんが、残された三人の叔母たちが凄まじく号泣していたのは憶えています。わたしはたぶん泣いていません。わたしは、彼女は生き返ると思っていた。
 
 幸い、友達連中はみんなのうのうと生きてやがります。
 友達未満の同級生はほとんどが交通事故、一人が変死で亡くなっています。小中高と一緒だった女の子は、hideの後追い自殺で亡くなっています。人気者で可愛らしい娘でした。みんな密かに好いており、でも手が出なかった。訃報を風の噂で聞いたときは「なぜだ!」と思いましたが、陰がある娘でもありました。いま思えば、です。本人は、自分の魅力に鈍感だった。
 
 
 もう一人、印象深い死がある。
 
 あれはわたしが中学二年生の時です。隣の区の中学校と戦争をする事になりました。
 待ち合わせの時刻に、わたしは駅まで偵察に行った。すると、ぞろぞろといかがわしい集団が出てきた。深めの剃り込み、ワタリと裾の差があり過ぎるモンゴルの遊牧民のようないでたち、「ヤベェ! 強そうダ!」一目散に戻ってみんなに報告した。
 決戦の場所は真昼の公園です。相手は鉄パイプまで持っています。ですが、番長Y司は相手が誰であれ絶対に退きません。
 各代表が額を付き合わせていると、大きな男たちがやって来ました。高校生です。きゃつらは助っ人として先輩の高校生を数人連れて来ていたんです。全く汚いヤツらです。
 Y司は地面で体をくの字に折って、高校生たちに蹴り上げられていました。なにもできない我々は、ただ見守るほかありませんでした。得意気に嘲笑っている敵の中学生は本当に汚い顔をしていた。
 すると、スクーターの爆音が聞こえました。音に反応した高校生たちも動きが止まります。右手で運転しながら、左手にはシンナーの袋を持っている人はK崎くんという人でした。高校に行っていれば高校生の年代です。
 K崎くんが数人の高校生の前に立ちはだかると、彼らは硬直して直立不動になりました。どうやら有名な人らしい。誰かがK崎くんを呼んだか、もしかしたら偶然だったのかも知れません。
 K崎くんの印象が強烈過ぎて、その後のことはあまり記憶にありません。確かもう一度戦争をして、彼らとは友達になったと思います。『喧嘩の良いところは仲直りができるところだ』ではありませんが、なにかそういう風に集結したと思います。
 
 同じ血をひいているK崎くんの弟であるAは、隣町で3つ年上のわたしのところまでその名が轟いていた。ド不良らしく、同じ年頃の奴らに彼の名を訊けば、Aを知らぬ者は居なかった。
 
 Y司を助けたK崎くんの因果か、AはY司を慕っていた。
 
 確か5年前ほどか、Aは自殺未遂をした。飛び降りである。理由は「仕事が見つからない」という事だった。
 当時、中卒の不良というのは、二つ進路パターンがあった。極道になるか、肉体労働者になるか。大抵は後者だが、彼らは得てして早婚で、独自のルールに乗っ取って幸せに暮らしている奴らも数多い。
 Aはそのどちらにもなれなく、またなるつもりもなく、面接を受けては落ちる日々が続いたという。Aは更正を望んだが、それを受け入れる社会はなかった。なにより、飛び降り自殺が未遂に終わったAは、障害者手帳を持っていた。
 いつか、Y司の家にAが訪ねてきた。相思相愛なので話も弾む。だが、その日の夜に限って、AはY司の車椅子の横に座って離れなかったという。
 数日後、Aは飛び降りて、死んだ。
 
 わたしはAの自殺に、ひとつの時代の終わりを感じた。
 かつてのいっぱしの不良ならば絶対に自殺なんかしなかった。たった三歳の差で時代が変わったのか、もしくはちょうど境目だったのか――そう思った。
 
 Y司はわたしに「Aが死んだ!」と何度も言っていた。
 彼の無念さは察するにあまりある。もし、Y司が五体満足だったのなら、Aは間違いなくY司の下で働いて、そして生きていただろう。
  
 事故で障害を負ったY司は、かつてわたしにこう言った。
「死のうと思って包丁を腹に刺した。でも筋力がなくて刺さらなかった」、と。
 
 人は死ねない。だから生きてる。でもそれは精神的に死ねないのだ。
 Y司の精神は死んでいたが、肉体が彼を殺さなかった。そんな彼を慕っていたAが自殺してから、Y司は逞しくなったように思う。「自殺は絶対に赦さない」と言う、彼ほど説得力のある人をわたしは知らない。
 
 あの時、Y司がくの字で蹴り上げられている時も、わたしは何もできなかった。その無力感はいまでも続いている。
 
 彼が生きている限り、わたしは死ねない。