うんこをもう一度咀嚼する日

 
 肉奴隷、ですこです。今日は奴隷の日だった。ぼくは奴隷だ。みんなに鎖を見せびらかしたい。
 
 ヒロ吉さんのmixiに可愛らしい野生のイタチの子供の写真が出ていて「唐揚げにしたら美味そうだな」と書いてみたんだけど、mixi特有のノリなのか、意外と非難されなかったのでガッカリしてしまった。「どうしてそういう事を言うの!」とか言われたらブチまけてやろうと考えていた事柄を、ブログに書いてみる。いや、他人の日記に書くのも気が引けるしね。
 野生の動物を餌付けしてしまうと、彼らは山から下りてきていずれ車に轢かれてしまう。『可愛いから』という人間のエゴが彼らを殺してしまう、ということを認識していない人が多すぎる。もっとも、イタチは捕獲されても食用にはならず毛皮に成り果てる。皮革製品を身に付けている人は彼らを愛でる資格はない。
 以下の話は《PETA》(People for the Ethical Treatment of Animals)という国際的動物権利擁護団体のサイトで見た動画を文字にしてみた。
 舞台は中国の路上。タヌキのような動物が尻尾を持たれて、生きたまま何度も地面に叩き付けられている。気絶したタヌキは吊されて“生きたまま”皮を剥がれる。「殺した後だと死臭が毛皮に染み付いてしまうから」、というのが彼らの(=購入者の)理由らしい。毛皮を剥がれると白い皮膚が露わになる。鶏の胸肉の皮を剥いだことがあるだろう? まさにあんな感じで、面白いようにズイズイと剥かれていく。だが、タヌキはまだ生きていて、白い肌をよじっている。檻の中で“順番待ち”をしているタヌキは泣いていた。本当に眼に涙を浮かべて泣いていた。
 あまりに凄惨な動画なのでリンクは貼れない。心臓の強い人、もしくは毛皮を買おうとしている人は観るといい。失神してしまうかも知れないけれど。それでも意志が変わらないあなたの心臓は毛皮を羽織っているだろう。
 ぼくが思ったのは、中国はまだ途上国だという事だった。だがその毛皮は日本に輸出されているに違いない。生きたまま皮を剥ぐ事に対して抵抗がなくなるくらい、我々は彼らにカネを払っている。自らの手を汚さないために。誰だってあんな事はしたくない。だが毛皮を買う人が居るから誰かがやらねばならないし、割が良いなら挙手だってするだろう。純毛の絨毯が敷き詰められた社長室で雨の日の夫人が言う――「くんくん、なんだか獣くさいわね?」
 
 とはいえ、ぼくはベジタリアンではないし皮革製品も着ている。これは本当に言い訳じみてるんだけど、食肉の為に屠殺した動物の革はアリなんじゃないかな、と思っている。どんな言い訳も通用しないんだけど、無駄にしないという欺瞞に過ぎないんだけど。毛皮のためだけに生きたまま――というのはね、本当にちょっと考えてしまったんだ。
 
『じゃあ野菜はいいのか』という事になると、それも考察の余地があって、古代から始まった農業のテクノロジーって、奇形の系譜なんだよね。品種を掛け合わせて効率よくたくさん収穫出来るように“改良”された代物だ。遺伝子組み換えとか問題になっているけど、うんと昔にそれは始まっていて、無農薬だろうがなんだろうが我々は奇形を食べているわけだから、泥付き大根に有り難みを感じている人はお目出度いってこと。水が少ない荒野で育てたトマトは抜群に甘いらしいけど、それだっていじめだよね。食うためにそこまでする。人間はいつだって「そこまでしてきた」。
 
『賢者は牛を殺さずに乳を飲む』とか言うけれど、生殺しのまま枯れ果てるまでおっぱいを吸いまくる訳だから、賢いというよりも狡猾だよ。乳牛だって、効率良くミルクを出させるために人間が創りあげた奇形な訳で、彼女らはおっぱいを搾られないと破裂してしまって生きていく事ができない。この感覚は妊娠を経験した婦女子のかたなら判ると思うんですけど、ホルスタインは四六時中妊婦のパンパンなお乳なわけです。それを紙パックに詰めて売りさばければ良いんですが、売れ残って棄てているらしい。どうすんだおい。
 
 疲れた。書いててどっと疲れた。全部読んだ人、お疲れさん。ぼくはもう金輪際、ミックスナッツしか食べない。食べ過ぎて垂れた鼻血? 舌で舐めるさ。
 嘘にきまってる。