ちょっと言い過ぎた

 
 嫌われですこの一生です。
 
 あと十日で今年も終わり、という実感がまるで無いんですよね。ぼくの一年はぼく自身に区切らせろ! と言いたいところですが、特に章も必要としない人生なので、なにものかに区切って貰わないと死ぬまで冗長ですから、まことにありがとうございます。区切っていただいて、ね!
 
 単位って、たまに解せませんね。¥やcmやkmはほぼ10づつなのに、時間は60なんだよな。しかも「時速100km」って事は「60分間に100km進む」って事だから、じゃあ1時間を100分にせんかいっ! と思いませんか。この無意味と思われる単位の違いって、なにか古くから理由があるんですかね。缶ビールが6本単位で売っているのは購入者が持ちやすいように、ですと? じゃあ米袋も6kgにせんかーい! という事になりますよね。
 
 世界中では様々な単位の呼び方があって面白いんですけど、たぶんその基準の最小単位って不変なモノを基準としていると思うんですけど、どうなのかな。
 林檎なんかだと不揃いなので(←ここ上手いところ)、たぶん人間を体を基準としていたと思うんですよね。身体のパーツで普遍的な大きさの部位、と考えてみると意外と少ないんです。ちんぽや(ちんぽゆーな)パイオツ(パイオツゆーな)、あとキャンタマや(キャンタマゆーな)ワギナの深さ(ワギナゆーな)なんかは千差万別なので、おそらく性器を基準としてはいないはずですよね。
 じゃあ何を? と考えてみると、目玉、膝の皿、未拡張の肛門、くらしか思い浮かびませんが、それは大人を対象としているからであって、産まれたばかりの子供のパーツのサイズは結構みんな似通っているのではないか、というのがぼくの想像ですけれど。
 まぁ、ググればわかるのかな。ぼくはググらないけれど。
 
 
 かつて、老人介護福祉施設に勤めているsoichikoに「利用者がいちばん多く死ぬのはいつ?」と訊いたら、「年末だ」と言った。
 
 青島幸男さんが亡くなった。
 ぼくの世代だと、世間が言うほど氏に対して思い入れは無いが、『いじわるばあさん』は憶えている。その後の政治家としても活躍も知っている。
 この年末のクソ忙しいときに死ぬなんて、なんて意地悪なじいさんなんだろう。
 
 岸田今日子さんが亡くなった。
 いわずもがな、ムーミントロールの人だ。それ以外で最も印象的だったのは、ダウンタウンのコントに出演した時だ。ごっつのオジンガーZに出演していて、それまで抱いていた暗いイメージが払拭されて、ざっくばらんな人だったのをよく憶えている。笑顔が素敵な人だった。笑顔に種類がないというのかな、いつも同じ笑顔だったように思う。
 
 カンニング中島忠幸さんが亡くなった。
 キレ芸で売っている竹山隆範の人の良さは、テレビでもにじみ出ている。カンニングの良い所は、自分たちが面白くないことを自覚していて、それを発言していたことだと思う。
 竹山は、死んだ中島をネタに笑いが取れるだろうか。
 例えば、「やー、赤血球が足りないっていうから、紅ショウガで染めたドーナツをお見舞いに持ってってやんったんです」と言ったら、観衆は笑うことはおろか、憤慨するかも知れない。
 だが、お笑いや、芸人といのは、そういうものだ。人間の業を笑え、と云っている。センチな竹山なんか見たくもない。
 
 現在、笑いに対して保守的な人がめちゃくちゃに多い。笑いの本質は、人をバカにするところに在る、とぼくは思っている。無論、それは自身だって構わない。純文学のおいてのささやかな笑いは、ほとんどの場合、自虐的だ。
 
 なにかを差別して笑いが生まれる。
 差別だけではなく、笑いがそれを包み込む、それを表現できるのは、道徳(うわー)や本質を知っているからだろうと思う。そしてそれの表明だ! 居直りだ!
 右へならえの犬にはわからないかもしれない。
 
 犬は、差別はすれど、笑わないのだから。