焦げ茶色の日

 
「これって、アレに似てるよね」
 串から抜いた砂肝をつまみ目の前に持ってきて、寄り目のまま見つめながら女が言った。
「見た目はそんなに似てないだろ」と男が言うと、「食感よ」と言って口の中に放り込み、わざとらしく咀嚼した。
 掘りごたつの脇の床は異様に綺麗な白っぽい木目調のクッションフロアで、明るすぎる蛍光灯を浴びて不自然な清潔感を主張している。これだけ明るいと埃は見つからない。
 女は、今度はひな皮を両手でつまみながら「かわいそう」と呟いた。
「何がかわいそうなんだ?」
「真性包茎と男のヒヨコちゃん」
 少し間をおいて「あたし白子が食べたい」と言った。
 メニューを見ながら鮭と鱈のがあるけど、と男が言うと「白子ならなんでもいい」と、ゴムでも呑み込むかように深い瞬きを数回しながらひな皮を嚥下した。
 男は店員を呼んで鮭の白子を頼んだ。
「うまいか?」
「美味ちい」
 女の口の中では白子がねちゃねちゃと掻き回されているのが伺えた。どうして白子は焼いてもタラコみたいにボソボソしないのだろう? まだ卵子に出会っていない生半可だからか――男は考えたがバカらしくなってやめた。
「今日はどうだった?」
「どうって?」
 女は頬張りながら言った。一瞬、歯の間から練られた白子が見えて、男は苛立った。
「仕事だ。何人だ」
「ろく」
 男は頭の中で最低限の計算をした。
「オプションは?」
「一人、おしり」
「あとは?」
「ふつう」
 男は計算を終えてビールを呑み干した。
「そろそろ出よう」
「ちょっと待って」
 女は慌ただしく店員を呼び止めてコーラを頼んだ。そしてコーラでうがいをした。
「こうすると白子は死ぬの」と言って財布を男の胸元に投げつけた。小銭と札束の重みもあるが、なにより重いのは外側にあしらわれた銅製の不吉な亀の装飾だった。
 
 会計を済ませて車に乗り込む。ダイハツのムーヴだ。内装の、ヤニで黄ばんだ、元は純白だったチンチラはもとより、車種も男の趣味ではないが、送迎車の装備に文句を言うわけにもいかない。
「寒い」
「軽は暖機に時間が掛かるんだ」
 女は煙草に火を点けて小刻みに震えながら煙をふかし、すぐに揉み消した。
「根元まで吸えよ」と男が言うと、「もう根元はこりごり」と芝居じみた口調で言った。
 男は車を走らせた。ゴテゴテの内装で視界が悪い。なにより邪魔なのはルームミラーに吊された大きなお守りだ。この車には似つかわしくないが、ダサイという意味では相応だ。
 
 運転している男の口になにかが押し込められた。
 食べ物ではない事はすぐに判ったが、麩か茶菓子のようにも感じた。唾液が吸収されたが、それ以上に溢れてくる。甘くはないが、味はまだ不鮮明だった。
 助手席を見ると、首を曲げて窓に額を当てている女の肩が震えているのがわかった。視線を落とすと紐が垂れ下がっている。男はうなだれて紐を引き、くわえていた茶菓子を取り出して目の前にぶら下げた。
 たしかに茶だが、焦げ茶に変色したタンポンだった。
 車を路肩に停めると女は笑い出した。男は放心の後に湧き上がる怒りを堪え、平静を装って訊いた。
「そうか。それで本番がなかったのか」
「キャハハハハ!」
 女は火がついたように爆笑を始めた。男は黙って女の痙攣がおさまるのを待った。
「生理はまだじゃん?」
 男は、居間のドアに貼ってあるマリリン・モンローのカレンダーを思い浮かべた。確かに早すぎる。
「今日はおしりが一人」
「ああ」
 男はすぐに合点した。同時に胃が迫り上がってきた。
「おっきいのに掻き回すから血だらけになっちゃった」
 男は吐き気を堪え辛うじて声を出した。
「は、吐きそうだ」
「だめよ!」
 女は怒鳴り、両手で男の顔を強く押さえて何度も揺さ振り、止めた。
「ねぇ。指についた溶けたチョコって、たまにうんちみたいなにおいがしない?」
 男は両頬が潰れたまま女の顔を凝視した。女は屈託なく真顔で笑っている。
 女はそのまま男にキスをした。男の口内を舌ですべて掻き回した。
 女は、男の左手につままれていた膨らんだタンポンをお守りの下に吊した。
 
 カーステレオからチェット・ベイカーの「マイ・ファニィ・バレンタイン」が流れて、男は、チェットのトランペットに拡張された女の肛門を重ねた。
 すぐそばに自販機があった。女は車を降りて自販機に向かって歩いていく。蛾のように不安定な足取りだった。
 助手席でプルタブを引きながら女は言った。
「さあ、うがいをしましょう」