すべての言語はエクスキューズである

 
「え? 違うって。違うよ、出してないって。それ、カタクリ」ですこです。
 
 絵や音楽が、有無をいわさず首根っこをひっ掴んでブンブン振り回すのに比べると、言語はまったくトロくさい。
 絵にエクスキューズが混在した物が漫画だ、と考えているぼくは古い人間なのかも知れないが、それでも構わない。漫画がかさばるのはエクスキューズの多さからだ、とぼくは思っている。
 それとは逆に、洋楽をエクスキューズ抜きで聴ける、という特技もある。
『エクスキューズ』なんて書くとちょっと格好いいけれど、その正確な意味を知らないで遣っています、という弁明がエクスキューズだという事は知っている。正確な意味は解らないが、言いたい事は判るような気がする。
 空気に触れた途端エクスキューズに成り下がってしまう言語の中で、更にエクスキューズをしている人に対して我々がとても敏感になるのは、その対象が鈍感だからだろうけど、その指摘もまたエクスキューズをふんだんに含んでいて、発したとたんにどこかで罪悪感を覚えてしまう、というエクスキューズ。
 
 人は、エクスキューズから逃れられないのかも知れないナ。