ヒトジゴク

 
 その成虫は霊です、ですこです。
 
 或る区の住宅街に、何の変哲もない蕎麦屋がぽつねんと在る。パートと思われる女性店員たちは、店舗の面積を考えるとやたらと多く、過剰なまでに愛想が良い。最初この店に入った時はうざったく思ったんだが、かつ丼がめちゃくちゃに旨くて、蕎麦も旨い。やたら店員が多いのも客の回転の早さからだろう、と頷けた。
 ごはんとカツがいっしょくたになった“丼”ではなく、別盛りになっていて、その皿はステーキ皿のような形と機能を保っており、食べ終わるまで熱いのである。味噌汁、サラダ付きで880円也。かつやだと? 行ってられっかい!
 そうなると「もっとうまい穴場があるんじゃないか?」と探索するのが人情で、同じ区の、いかにも老舗っぽい、かといって外装を清潔に保っていないラーメン屋を発見した。今どき珍しく『ラーメン450円』とある。手書きで記されたマジックの文字は、付着したべた雪の所為で、土砂降りの中でタクシーを待つホステスの顔面みたいな様相を呈していた。
 見れば隣は肉屋だった。「たとえラーメンが不味くともチャーシューは喰えるだろう」――そういう安全牌が必要なくらい、外観はいかがわしかった。
 引き戸を開ける前に格子から店内を覗こうとしたが、ガラスがひび割れていて窺い知る事はできない。
 意を決して戸を開ける。
 しじまが訪れる。なぜかうすら笑いの自分が哀しい。客なのに媚びている。
 人はそれが無意味だと解っていても、希望的観測だけで生きていける。買われる期待だけで今宵を明かせる娼婦のように――。パン以外で必要なのは、希望だけだ。
 
 紅かった。赤ではない。紅である。
 想えば昔のラーメン屋のカウンターは、みんなこの色だった。水滴を底に帯びたコップがつるつると滑り出すような、あの感じ。
 カウンターのみで六席ほどしか無く、厨房が妙に近い。ぼくの目の前ではゴマシオ頭の店主が、フィーフィーと鼻息を荒くしながら懸命に鍋を振っている。すると、もやしが一本、ぼくのコップの横に飛んできた。
 彼が、もやしが、不快なのではない。この近さが不快なのだ。
 
 店主の隣では、夫人らしき女性がなにやらスタンバイしている。右手におたま、左手には中華鍋を持っている。しかもこの夫人、寝癖が半端じゃない。テロリストなのか、その被害者なのか、ドリフの爆発コントみたいな頭なのだ!
 店主が鍋を傾けて“なにか”を皿に盛ると、それに夫人がおたまで“なにか”をかけた。おそらくパチモンのラップで“なにか”を覆うと、店主はそれを持って外に出た。出前だろうと思われた。
 
 ぼくは醤油ラーメンを頼んでいた。
 テロリスト夫人が動き出す。「おい、あんたが作るのか!」とは、言えるはずもない。ぼくは既に捕虜なのだから。
 カウンター奥を覗く気もしなかった。麺を茹でているお湯は、あらゆる残骸が混入して薄茶色に違いない。巻き毛だって浮いてるだろう。
 特筆すべきは、この店は「まったく中華の匂いがしない」ことだ。そのくせ油汚れはそこら中にある。
 
「おまちどおさま」
 テロリスト夫人の囁きと共に、温そうなカルマが目の前に突き出される。
 
 

ラム・ダスこと、リチャード・アルパートは規定の何十倍ものLSDを、グルに呑ませた。ラム・ダスは科学者根性丸出しで、グルが壊れるのを期待した。
グルは、ウインクをした。それだけだった。それだけだったのだ。

 
 
 カルマを啜ったぼくは、吐き気がした。それだけだった。それだけだったのだ。
 
 
 アリジゴクという虫がいる。
 ウスバカゲロウの幼虫で、土壌にすり鉢状の罠をこしらえて蟻を捕獲する虫で、幼い時分に捕ったこともある。
 
 ラーメン屋の彼らは、アリジゴク夫妻である。
 
 もちろん、あんな稚拙な罠にかかる者は滅多にいない。
 アリジゴクは、月に一匹程度しか蟻を捕らえないらしく、またそれでこと足りるようである。
 

ビー・ヒア・ナウ―心の扉をひらく本
ラム・ダス ラマ・ファウンデーション 吉福 伸逸 スワミ・プレム・プラブッタ 上野 圭一
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↑買わない方がいい(えーっ)。