週末のカメムシ

 
 両方の乳首の位置が離れていることで自衛隊の入隊を断念した、川上ですこです。敵のレーダーに引っかかってしまう、というのが先方の理由でした。現在、ステルスブラジャーを開発中でありますっ!
  
 先日、数年振りにカラオケを唄った。最後に唄ったのはカラオケボックスだったので、スナックで唄ったのは本当に久し振りだった。隣では中島みゆき、その奥ではデヴィッド・ボウイ。なぜか両歌には、その詞に“スペイシー”という共通点があった。ちなみにぼくが唄ったのは、荒井由美・作、ハイファイ・セットの『卒業写真』である。邦楽はキリンジなら全曲唄えるのだが、そのスナックのカラオケには一曲もなかった。分厚い本をあ行から探しながら最初に浮かんだのが荒井由美だった。しかも春だ、これしかない。だが、間奏で気づいた――いまは入学シーズン真っ直中だ、ってことに。
 荒井由美の「卒業写真」はとてもいい曲だ。バックの演奏はたぶんはっぴいえんどの面々だと思われる。正式なアルバムを持っていないので定かでないが、キメの部分の和音は明らかに細野氏のベースで、ワウの使い方やトレブリーなギターは鈴木氏で間違いないだろう、と言い切れるのは、ぼくがはっぴいえんどの大ファンだからである。
 名曲というのは、いきなりAメロから良い。始まって数秒で曲全体を予見させる力がある。コード感、音質、音色、リズムetc.色々あるが、最初に覚えた予感を、最後まで絶対に裏切らない。もちろん、途中から徐々に良くなってくる曲もあるが、それは名曲ではない。名曲は、最初っから最後まで名曲でなければならないのである!
 ユーミンは、紛れもない天才だ。彼女が売れていることで、日本の音楽界はまんざらでもない事をあらわしている。サザンと双璧かも知れないが、ぼくはユーミンを推す。そして彼女のこれまでの仕事を掘り下げるべきだ――キャロル・キングジェームス・テイラーラヴィン・スプーンフルミシシッピー・ジョン・ハート、レッド・ベリー。軸が変わって、バカラックポール・サイモン、ウィリアム・デヴォーン、ロジャー・ニコルスブライアン・ウィルソン――ようこそ、泥沼へ!
 カラオケの面白さは一生懸命に唄うことだ、という事を中島とデヴィッドに学んだ夜だった。カラオケ、愉しいかも。音楽はやっぱり、解放なのかも知れない。
 
 最近は週末に呑まなくて、平日に出ている。その代わりに週末は家にこもっている。“休日の前日”という最高の猶予は、ぼくのようなファッキン週休一日労働者にとってはとても貴重な、小銭入れの中に仕舞われた陰毛の提供者が操を喪うまでの、いつも最前列に居たじつはプロレスラーの息子の四肢が発達するまでの、それくらい大切な時間なんです。
 呑んだ翌日が休日なのは誰もが願う事で、故に週末の繁華街は混み合うのだが、ぼくは最近「平日に呑みに行った方がいいんじゃないか」と思っている。代償として二日酔いでの労働はあるけれど、結局だれかが折れなければ、宴は成り立たないわけです。人は、楽しみよりも苦痛を共有する方が健全だと思えたり――
 
「明日、仕事?」
「いや、休み」
「俺もよー」
「マジか? もう一件いこうぜ!」
 
 よりも
 
「明日は仕事?」
「うん、仕事」
「俺もさ」
「だよな。でも、もう一件いかない?」
「行こうか」
 
 の方が、なんか、綺麗。美しい。
 弁明は離脱が既に(勝手に!)してくれているので、あとは耐えれば、終わりです。
 
 いつ、音楽に数学が介入してきたのかは解りませんが、数学によって音楽が進化してきた事は否めない事実であり、もしかしたら数学によって音楽は始まったのかも知れません。特にリズムはそうだし、ギターなら「5フレットのプチョパピンのあの辺」とか云うわけですから、音楽は数学だ、と言い切る事に過言があるとすれば、情念を数学によって表現した方法、と言い換えたらどうか。
 ここで
「キミはロックをわかってナイ」
 と一蹴する人間を、ぼくは信じない。
 
 自分でも思う。
 ぼくは、ウザいヤツだ。