今日は、お金は要りません

 
 疲労が蓄積して躰が火照りデブ汗かいてる伊集院ですこです。
 デブキャラの元祖と云えばウガンダ・トラですが、いつか、彼がウエットスーツを着て海に潜ったところ、トドと間違えられて漁師に銛で突かれたそうです。喉が渇いたらカレーを飲むらしい。
『火照る』とは、躰がじくじく熱くなる様を意味しますが、やたらと身長が伸びて妙にギターが巧くなって頭髪を立て始めて声がくぐもってくる人の事は『布袋てる』と呼びたい。
 BOØWYド真ん中世代なので、若かりし日は布袋に影響を受けました。中学を卒業する頃になるとほとんどの曲は弾けるようになりましたし、スコアの採譜が間違っている事にも気づくようになりました。音は同じでも、ポジションによるトーンの違いを聞き分ける事が出来るようになり、耳で覚えた弾き手の癖からもそれは判りました。後発のライブビデオで検証した結果、ぼくの方が正しかったのです。中一の途中から弾き始めたので、この間二年弱です。大量のカセットテープを伸ばして、棄てました。
 よく「俺なんか○○年かかってやっとだ」と云う人がいますが、それって非常にアバウトな物言いだと思うんですね。時間で換算するべきだし、なにより一番必要なのは集中力だと思うので、先のような発言をぼくは信じません。
 ギターの事ばかり考えている人は勝手に巧くなりますし、女の事ばかり考えている人は不自由しませんし、お金の事ばかり考えている人はお金持ちになるんです。当たり前ですよね。お金の事ばかり考えているのに貧乏な人は、お金以外の事も一緒に考えているんです。邪念が多すぎるんです。ですから、お札の肖像は賢者じゃない方がよろしい。千円札は(万札じゃねえぞ)堤康次郎にしましょうよ。彼は「刑務所の門をくぐる人間はアマチュアで、寸前で戻ってくるのがプロだ」と言い放ち、その三男が堤義明で、最近話題のアマチュア野球現金不正支給なんてのは西武の歴史から見ればハナクソ以下ぢゃい。と言うか、どうせみんなやってるって。献金が足りなかったんだ。
 
 ぼくはお金がとっても好きなんですけど、お金じゃ買えないものっていいなぁ、と未だに思ってるんですね。それは何かと云えば、やっぱり創作物ではないかなと思うんです。でもそれがお金を生んでしまうと、ギャラリーはどこか腑に落ちないんだけど、当人は嬉しいんだろうし、なにより経済に組み込まれていないものなんていうのはほとんど存在しない訳です。「世の中カネじゃねえ!」というメッセージを発信するにしても紙代はかかるし、それに音楽をのせるのなら楽器も買わなきゃなんないし――ってキリがねえからやめる。
 
 ただ、はっきり断言できるのは、世界で起きている犯罪の九割はカネが原因だってこと。格差社会がそうさせた、とは言わないし、ぼくは社会主義者ではない。努力の結晶は眩しいし、まばゆいばかりです。でも、未だかつて、民主主義にもお目にかかった事がないのです。
 
 関係ないけど、書いてる途中でちょうど電話が鳴ったので、宣伝しておきます。
 かつてずっと一緒にバンドをやっていたドラムの奴が、神奈川から飛んできて札幌で凱旋(?)ライブを演るので、暇な札幌人はぜひ来て下さい。プロモーションなので、入場無料となっとります。
 よろしくどうぞ。
 http://www.southbay.co.jp/sapporo/news/422.htm