裸足の音がいい

 
 風邪を引いてキャンタマが蛸の頭みたいになってるイカ臭いですこです。はい定番!
 
 最近、Medeski,Scofield,Martin & Wood をほぼ毎日聴いている。お目当ては一曲目の Little Walter Rides Again だ。おそらくブルースハーピストのリトル・ウォルターをテーマにした曲かと思われるが、輸入盤のインストなので真意は判らない。
 いきなりモロMeters調なのだが、Metersとの違いはベースがもの凄くジャズな所だ。MMWは十年前からファンで、かつてミュージックマガジンでメデスキーが「ジャズファンクにはジャズが足りなすぎる!」と、一蹴していたのをよく憶えている。 同時期のジャムバンドとしてPHISHと並列されている事に彼らが疑問を抱いて事は、外国人ながらぼくもよく判った。
 今回のアルバムからジョン・スコフィールドという著名なジャズギタリストが加入したが、恥ずかしながらぼくは彼の事をまったく知らなかった。このアルバムを聴いた時、「ギター、要るかぁ?」と思った。ぼくは「シャックマン」みたいなアルバムが聴きたかった。
 だが、なにかが引っかかる。寝る前にこのアルバムを聴くと、寝入りばなの頭の中でジョンのギターがじくじくと鳴り響くんである。
 最近はもっぱら朝起きてギターを弾いている。ニュースを観ながら、二日酔いの時は烏龍茶を、そうでない時はビタミン剤を噛み潰しながら、チマチマと弾いている。
 そうして昨夜鳴り響いたジョンのギターをなぞるのだ。でも、弾けない。再現できない。だから徹底的に聴き込む事にした。
 この著名なギタリストに対して何をいまさら、と言われるかも知れないが、未知の裡に彼の良さを耳で知ったぼくは、なかなかの耳利きである、と自賛しておく。
 控えめで、小技が効いていて、いなたいトーンが素晴らしい。相当なテクニックを持っているのにもかかわらず、余計な事は一度もしていないし、そのくせニュアンスを確実に意識している。それはラストの掛け合いでわかる。まったく素晴らしい。久し振りにギターで、ソロで、感銘を受けた。ぼくはこの一曲で白旗をあげたのだ。おれもこんな風に弾きたーい!
 こんなにギターを聴き込んだのはブルースマンとジミヘンとチャーリー・クリスチャンを除けば、クラプトン以来だ。ぼくはクラプトンが好きじゃないが(明らかな過剰評価だ!)、このアルバムは徹底的に聴き込んで、全曲耳コピした。高三だったかな。
 
 The London Howlin' Wolf Sessions
 凄いメンツだゼ……この頃のクラプトンは確かに神懸っている。
 


 
 米バージニア工科大の銃乱射事件、凄いですねぇ。一人で三十二人も殺したという事も凄いですけど、マイノリティが多数を殺したというところに、この事件の特色があると思うんです。無差別殺人はいままでたくさん起こってきたけど、大抵のケースは同国内の国民がイデオロギーの差違によって同国民を無差別に攻撃するのであって、これだけあからさまな異国人が大量無差別殺人を起こすのは極めて珍しいし、初めてかも知れません。
 最初の報道で「犯人はアジア系」という事を聞いて、我々アジア人がソワソワしていたという事は、我々はやっぱりアメリカの犬なんですよ。放し飼いしてた犬がアメリカ人を食べちゃった、という事で、それが土佐犬じゃなくて良かったぁ、と胸を撫で下ろしている(韓国は犬を食べますが)。胸がすいた外国の人も居たはずですが、我々はなぜか手放しで黙祷をする。四つん這いの犬だから、ね。
 犠牲者に哀悼の意を表明する事も、加害者を擁護する気も、本当のところ、ぼくは起きない。抑圧されていた人間が、抑圧していた人間を狙い撃ちした事件というのは、じつはあまりない。いじめられっこがいじめっこを殺した、というケースは非常に希で、且つ近い人間を大量に殺したとなると、前代未聞であるが、津山三十人殺しとの共通点も見受けられる。
 だがそこには“距離”という圧倒的な差違がある。
 距離とは、刀と銃の距離である。返り血を浴びるか、浴びないか。刺した時に細胞が潰れる音を体感できるか、それともそれを銃声で掻き消すか。距離は、自己の安全と、罪悪感を薄める事に貢献する。銃が持つ美は、殺害する為だけに開発された無駄のない機能に集約されていて、それが目的の為に存在するものだけが持ち得る、確固たる美がある。不要と切実が同居している。「ガンメタ」、その響きだけで、想起させる陰りさえ既に格好いい。
 距離――その最たる物は原爆を始めとする兵器である。いくら人を殺したところで平気(ry
 
 
 鬱屈とは、痰と画鋲が入った靴を履いて早朝の新聞配達をすること。
 
 卑屈とは、その新聞に胃液と剃刀を混入してやる、と妄想をすること。
 
 退屈とは、それらがどうでもよくなること。