Time is on my side

 
 一瞬で記憶がよみがえる、イタコですこです。他はなーんにも記憶にござんせん。
 
 連日残業なんである。連休前のとばっちりである。帰りに酒と弁当を買っていこうか、外食で済ませるべきかを迷ったあげく、かつやにてカツ丼を喰う事にした。フツーにうまいんスけど。でも味噌汁はおれの方が旨いな。
 帰宅後、麦焼酎を呑む(家に酒あるんじゃねえか)。いいちこに飽きたので二階堂に変えてみる。うむ、爽やかで美味なり。本当はラフイログとかボウモアなんかの高いお酒を呑みたいんだけど、身分不相応だし、量を呑むので安酒ばっかりでござんす。
 先日、K師匠の店で、聴いたことのある曲がかかったので「アラン・トゥーサンですねぇ」というと「そうだ」というので、「ニューオリンズジャズフェスですねぇ」と畳みかけると「おおっ! よくわかったな」と言ったので、少し鼻を高くした。 言い当てたご褒美に(金は取られるが)、ピンガというお酒を頂いた。聞けばブラジルの焼酎らしく、やたらと旨かった。
 Amazonで検索したらプレミア付いて15000円だとよ。このCDは、いまから十年以上前に千葉のデパートで購入したことをよく憶えている。当時、ぼくは東京で居候暮らしをしており、いよいよ金がなくて困ったので、千葉の姉の所まで金を貰いに出向いたのだった。借りにではなく、貰いに。
 場所は八街というド田舎で、姉夫婦は田園地帯の平屋に住んでいた。義兄とは八歳の頃から水入らずの仲なので、「遊びに来た」という挨拶が建前である事はよく知っている。さすがにタダで金を貰うわけにもいかないので、義兄の仕事を手伝った。義兄はぼくの事が好きである。正確には、金のないぼくが好きである。「貧乏なですこクン」が好きなんである。数年前、姪にお年玉を送った。書留の到着の電話で姉に対し「遣いこむなよぉ」と冗談で言うと、義兄が真に受けてしまったようで、お年玉をまんま突き返されてしまった。義兄は貧乏なですこクンが好きなんである。お年玉を寄越すような大人のですこクンは嫌いなんである。故に、義兄に限らず、周りの肉親から人生についての説教や叱咤はおろか、教示すら一度も受けた覚えがない。ぼくに甲斐性が無いのは奴らの所為だ! と責任転換をしておく。
 田舎の暮らしも、三日目にもなると苦痛を覚え始めた。肉親なのでもちろん人間関係はうまくいってたし、早朝に起きて仕事をして、帰宅後に晩酌をして日が変わる前に就寝するというリズムは平和で、どこか原始的な匂いもぼくは気に入っていた。
 しかし、その家には音楽が無かった。
 CDは何枚かあった。だが姉はTUBEキチガイ、義兄は中村雅俊オンリーである。ぼくは天を仰いで、田園の静寂を憎んだ。「デパートに連れて行ってくれ」と頼んだ。
 そこは小さなデパートで、二階の本屋の隣に辛うじてちんまいCDコーナーがあった。邦楽だらけだったが、片隅にV.Aのコーナーがあった。意外な事にV.Aのコーナーは充実していて、「黒いオルフェ」や「ドクター・ノー」なんかのサントラがあった。そこでひときわ輝いていたのが『NEW ORLEANS JAZZ & HERITAGE FESTIVAL 1976』の薄緑色だった。しかもすぐそばには『ROLLING STONES CLASSICS』というV.Aもあった(Valentinosの名演が聴ける!)。迷わずその二枚を奪うように引き抜いて、小脇に抱えながら小走りでレジに進む。財布は淋しいが、払えないことはない。すすけた背中を見計らったかのように背後から「決まったのぉ?」と姉の大きな声が聞こえた。姉は先の名盤二枚の上にTUBEの新譜を載せてレジに突き出し、会計を済ませた。「おれが持つよ」と、CDが入った袋を奪って、中身を覗きながら、待ちきれずに封を開けた。
 帰宅後、晩酌を終えて家主たちが寝静まるのを待ち、音が漏れぬようポータブルプレイヤーの音量を極めて小さく絞り、夜のしじまに天井を見上げながら独り聴きいった。アラン・トゥーサン、リー・ドーシー、アーマー・トーマス、ロングヘアーetc.、一音も逃すまいと、場違いな音楽をたいせつに噛み締めたんだった。
 ライブなので一曲ごとに無音の隙間はないが、V.Aなので奏者が変わるごとに雑なフェードインがある。それを聴きながら、すっかり観客気分になっていた。何度か繰り返し聴いた再生が終わると、間もなく鈴虫の音が聞こえてきて、そのまま眠ってしまった。
 いい匂いがした。体を起こすと、肩にヘッドフォンのコードが絡んできた。平屋の室内はやたらと眩しかった。「おはよう」と姉が言った。義兄が寝ていた布団はすでに畳まれており、時計を見れば昼過ぎだった。
 少し焦げたウインナーと、バターロールクノールのポタージュをお盆に載せた姉は「今日は休みなさい」と言った。エプロンのポケットからは、皺だらけの封筒がはみ出していた。
 それから間もなく東京にとんぼ返りした。財布に十万円を詰めて、片手に二枚の名盤を持って。