世紀末? なんのことはない、石油の枯渇だ

 
 五月ですね、斉藤由貴のマイ、富田ですこです。
 かつてラヂヲでも話したんですが、中学生の頃に富田くんという同級生がラジオの曲当てクイズに電話で応募して回答権を得たのですが、「May」を「マイ」と呼んで、公共の電波におもいっきり乗せておりました。
 小学生の時に派閥戦争が起きた時、富田くんは竹刀を持ってきました。武器を持ってきたのは彼だけです。そんなバカで薄汚い野郎も、今では屈指の大企業トヨタの社員だというのですから、まったく世の中は狂っていると申せましょう。
 ちなみにトヨタは十兆円企業ですが、ヤクザは三兆円を売り上げております。経常利益はおそらく同じくらいではないかと思われます。日本の裏社会の巨大さが窺える数字ですね。もはや、というか昔から社会とヤクザは抜き差しならぬ相互依存の関係にあるので『暴力団追放』などという欺瞞はやめて頂きたい。
 かつて暴対法が施行されようとしていた当時、遠藤誠が代表になって国と戦ったんですが、その時ヤクザが渡そうとした報酬は十億円ですよ。遠藤さんはもちろん受け取りませんでしたけどね。ヤクザはカネ持ってますよォ。下っ端だけが貧乏なのは一般人も同じでさあな。メシをおごってくれるだけヤクザの方がマシかも知れないナ。
 
 先月末は正月以来の連休だった。休日の前夜が二日も続く嬉しさに悶えた。普段、退屈はほとんど感じない。焦燥感に駆られる方が多くて、かといってそれを飼い慣らす事も出来るので、すぐに消沈してしまう。連休故の心の余裕、春の陽気の所為だろうか、珍しく「暇だ」と思った。ふと見るとキーボードが汚れている事に改めて気づいた。暇なのでバラして綺麗にしようと試みる。ラジオペンチで全てのキーを引っこ抜いて、慎重に並べ、煙草の葉と灰が主な塵を掻き出し、濡れ雑巾でキーを一つずつ丁寧に拭いた。全てを元に戻すと夕暮れになっていた。薄暗い上にキーボードは黒なので、成果がまったく判らない。
 まだ暇だった。ギターとPSA-1を繋いで弾きまくる。Jaguarの弦のテンションは緩いので中間のフレットならばレギュラースリンキーでも四音くらいのチョーキングができる。気分はアルバート・キング。ちなみにアルバートキングは予め低くチューニングしており、故にあのような五音上げほどのブッ飛びチョーキングが出来るのだが、調弦が狂い易い上に弦は緩くてベロンベロンなので、ソロ以外のバッキングは最低である。飛び道具とは楽器に名付けるものだが、アルバートキングは自身が飛び道具だ。
 妄想FlashでのBGMの骨格が十曲は出来ている。それを確かめるように弾きまくる。問題はFlashだ。アイデアは形にしなければ、たとえそれが優れていたとしても、無に等しい。批評家とは、それが出来ずに横道にそれてしまったペコちゃんの姿をした乞食を指すのではないか。ぼくは、乞食以下だ。
 時計を見れば二十時十分だった。寝坊対策で十五分進めているので正確には十九時五十五分だ。着替えてコーチャンフォーに行く。巨大書店である。かつて脳内ではCDのストックで溢れていたが、最近は本のストックが増えてきた。検索機で探し出すのはニ冊に留めておいて、あとは棚を順繰り歩いて脳内ストックと合致した物をさらに取捨選択する。この作業が愉しい。愉しいのだが小一時間も経つと決まって便意を催す。
 文庫四冊と新書一冊を鷲掴みのまま会計を済ませる。帰りに、同居しているミスドでも買おうかと思ったが、シナモンクルーラーのようによじれた長蛇の列があったので諦める。並ぶほどの代物かね、と負け惜しみをして帰路へ。肥るよ、ドーナツは。ケーキを油で揚げてるんだから、トンデモナイお菓子だが、それに比例して妙な求心力がある。そりゃプレスリーも死んで、頭上にドーナツ浮かべるわい。
 帰りにスーパーで酒を買う。ついでに特売の鰹節を買い込む。たったの300gだがとてもかさばる。「この世から無くなったら困るものは?」と訊かれたら、ぼくは「ティッシュと鰹節」と即答する。両者の共通点は、なんかダシのようなモノが出て、薄っぺらいくせに後始末が面倒なところである。
 
 ちびちび呑みながら本を読む。
 
 環境問題はなぜウソがまかり通るのか
 
 重版されたようで、山積みだった。おそらくベストセラーになると思うので内容については触れないが、絶対に読んだ方がいいだろう。
 ぼくはもう文字通り、ゴミの分別はやめようと思う。最初っからまとめて棄ててやろうと思う。やっぱりこの世はイリュージョンだったんだ。
 リサイクルの本質は「限りある資源(石油)をいかにして生きながらえさせるか」なので、分別はそれに貢献していないどころか、ますます悪化させている。
 年金問題よりも、2050年には枯渇を始める石油の方が遙かに重大だ。アメリカの中東侵攻、ロシアのチェチェン抑圧、それはすべて石油の為ではないのか。彼らは日本人よりもずっと先見の明がある。国境のない世界を想像したジョン・レノンは、石油の無い世界を想像できなかった鼻眼鏡のドリーマーに過ぎない。
 その頃、ぼくはもうこの世にいないので別に構わないが、せめて火葬はやめて土葬されて、未来の石油になりたい。現在、石油の豊富な国の民はいずれ戦争で殺られてしまい、屍体は土に眠り、長い年月を経て石油になるだろう。
 たくさん石油が湧く国は、いつまでも不変なのかも知れない。
 
 そんな事を考えながら、汀にて・王国記Ⅲを読み耽る。きりの良い所で寝るはずが読了してしまった。遮光カーテンからは朝陽が漏れてきて、時計を見れば六時三十八分だった。正確には六時二十三分だが。