五月人形はみな無表情

 
 May、マイと云えば(しつこいから)、マイマイカブリを連想しますけど、奴らって自身の毒をもってしてカタツムリを溶かし、わざわざそれを吸う訳です。粉ポカリを溶かして――じゃなければ、ゼリーをこう、器をくわえて、歯の間からチューチュー吸い上げる感じなのかな。そんなかぶりつけない虫に「〜カブリ」って名前はどうよ、ですこです。
 連休明けは憂鬱だ。五月病とは、新入生や新入社員が罹る病らしいが、ぼくは未だかつて五月病に罹らなかった事がない。いや毎日が五月病である。ぼくは毎朝、破産している。
 大型連休が特別に嬉しいのはそれが猶予だからであって、これが自由な環境での祝祭日では意味がない。休み明けの出勤日が憂鬱であれば、それだけ休日も甘やかなんである。つまり、例えば失業中のGWはさぞかし辛いだろうと察する。就職活動ができない上に、祝日を謳歌できない。雨が降ればほんの少しだけ口元を歪める。空気の読めない人は、一日や二日に面接の電話を掛けたりして、即座に落とされる。
 こう考えていくと、憂鬱な仕事がまんざらでもない、という謙虚な気持ちになれるものだ――仔羊の思想かも知れないが。
 連休中は実家に帰り、二日ほど夜遊びをしただけで、あとはだいたい家に居た。洗濯や掃除は連休前に済ませておき、酒はたんまりと買い込んでおいた。じゃがいもと人参がそれぞれ二十円で売っていたので久し振りにカレーを作った。ハウス・ザ・カリー、高級感溢れるパッケージである。ルゥとは別の袋に入っているブイヨンで煮込むタイプの似非本格派だったが、味は期待ハズレだった。奮発して買った和牛肉も、火を通したレバーみたいに妙にボソボソしていた。たまにカレーを作る度に思う。ぼくのカレーはあまり美味しくない。市販のルゥを使ったカレーの場合、不必要に煮込むと逆効果なのかも知れない。ぼくは二時間弱煮込んでしまった。返せ、ぼくのそれほど貴重じゃない二時間を。それよりも小分けしてある残り二日分が問題だ。誰かおなか空いてる人いませんか? いや、不味くはないんだ。ただね……パッションがないんだよ(おまえ誰よ)。
 連休前に買っておいた本を酒の肴に読み耽る。想えば去年もこんなGWだったような気がする。読みかけの〈青の時代〉を放り投げて、東野圭吾〈秘密〉を手に取る。聞けば名作らしい。普段ミステリーはほとんど読まないが、かつてハマっていた時期がある。
 まだ十代だった頃、友人からシドニィ・シェルダン〈ゲームの達人〉の上巻を貰った。下巻がない事はどうでもよかった。友人はつまらないからくれたのだった。
 おそろしく暇だった時にその本を捲ってみると、一気に惹き込まれてしまった。下巻が読みたかったが金はない。当時はまだ文庫は出ていなかった。
 丁度そのころ姉が出産で帰省しており、腹の膨らんだ暇そうな姉に〈ゲームの達人〉を勧めた。最初は乗り気じゃなかった姉も「下巻を貸しなさい」と言った。待ってましたと、「下巻はない」と告げると、姉は「買ってきて」と言った。そうなると姉が読み終わるまで待たなくてはならない。予め本屋で調べておいた、別の著作もある事を告げると「まとめて買ってきなさい」と仰った。万札を寄越しながら「早くして」とも言った。
〈ゲームの達人・下巻〉〈時間の砂・上下巻〉〈血族・上下巻〉を買い込み、思案した。お互い最も読みたいのはゲームの達人・下巻である。九才上の姉、それも金を出したとなると姉が先に読むのが揺るぎない道理だった。だが幼い頃からよくお遣いに出されたぼくは、姉の好物を熟知している。コカ・コーラ、タマゴポーロ、フルーチェいちご味、セブンスター。重みのある紙袋を抱えてスーパーに寄り、それらを買い込んだ。
 玄関のドアを空けると「あったー?」と姉の大きな声が聞こえた。これみよがしに買い物袋が重たかった態で居間に上がると、「なに買ってきたの?」と言った。
 アイテムを一つずつ取り出してテーブルに載せると「あんた気が利くわね」と仰った。ぼくは紙袋から『下巻』を取り出して自分の部屋へ消えた。むさぼるように頁を開くと居間の方からコーラの封を開ける音がして、二つノックが鳴った後、コップに入ったコーラがふすまの脇に置いてあった。すっかり気の抜けたコーラを飲みながら、次の著作を手に取った。
 こうして姉弟は読書の虫となり、互いに同じ本を廻し読みしつつ、同じ時間を掛けて読了した。残念ながら今となっては、本の内容は全く憶えていないのだった。
 以来、ミステリーはほとんど読んでいない。食傷というか、謎解きに価値を見出せなくなっていた。オチのある話にウンザリしはじめた。
 だから久し振りの〈秘密〉には大いに期待していた。サクサクと本が読みたかった。実際、平易な文体も読み易く、結局は徹夜で読了してしまった。
 ありがちな設定で、故意の冗長な文章の中でも伏線の処がキュッと締まっていて、読む者の思惑をもう一度裏切る展開を予見させた。小道具も印象的に扱っていて、ラストは泣いてしまいそうだった。「名作だ!」と膝を叩いた。残念ながら界隈には雀が居ないので、カラスのダミ声で朝を知った。
 心の中は〈秘密〉の読後感で満たされていたが、もやしの髭が咽喉に引っかかった時のようなもどかしさも同時に覚えた。パソコンを立ち上げてAmazonのレビューを読んでみた。レビュー数150超えの大人気のようで、内容も肯定的な物が多かった。
 そしてもう一度〈秘密〉のラストを読み返してみた。そうする事でもやしを嚥下できると思っていたが、逆に噎せ返りそうになった。
 ぼくは物語の続きをひたすら想像した。忌まわしい事もたくさん想像した。だが著者は最初からそれを避けている事に気づいた。「後はどうぞお任せします」というスタンスが、ぼくには陳腐なコントに思えた。アンジャッシュがお笑いでないように、〈秘密〉も文学ではない――そう勝手に結論づけて、泥のように眠った。