最低にして最強の想い出

 
 ベンチマークで凹んでいるですこです。
 先日、某所でベンチマークテストに参加してみた。ぼくのPCは型落ちだが、曲がりなりにもXEON二発搭載のワークステーションである(2.4GHzだが)。VGAAGPだが256MB、メモリは2GB積んでおる。まだまだハイスペックマシンだゼ――と鼻息を荒くしていたが、結果は惨敗、ハナクソだった。新しいPCと比較すればほぼ1/3の性能にもかかわらず、消費電力が二倍である事が判明。おい電気くん、君はどこへ消えたのかね。
 Pen!!!時代からCPU二発にこだわってきた。XEONのHTをオンにして、タスクマネージャーに立ち現れる4CPUの表示を見て、うっとりしていた。脳味噌がキングギドラよりも一つ多い事に、ほくそ笑んでいた。
 ぼくは「Core 2 Duo」を、HTのような“似非(疑似)Dual”と認識していたが、どうやらそれは大きな間違いだったようだ。ベンチの結果も凄まじかったし、聞けば操作感も抜群に良いらしい。
 早速、値段を調べてみたがCPUが異様に安い。なんてこった。十万円あれば爆速マシンが作れる。中古パーツを利用すれば6万円ほどだろうか。うーん、作ろうかしら。
 
 寝不足である。
 例の、愛知県でおこった立て籠もり事件の行方を夜通し追っていた。テレビは点けっぱなしで眠った。
 犯人は元暴力団で、かつて破門されたらしい。破門されたヤクザというのは、家を追い出された事と等しい。野良犬だ。
 まず素行不良で実家を追い出され、組に入ったが破門され、ついには自分の家族にも見放され――合計三つの家族から見放されたことになる。相当に破天荒な人物が、自暴自棄の極みである情況だという事が窺える。野良の狂犬誕生、である。
 
 じつは十代の頃、神奈川でヤクザと暮らしていた事があった。それも、破門されたヤクザである。
 Mさんは当時三十六歳だった。見た目は普通の中年で、かなり若く見えた。体型もごく普通で、どちらかと云えばひ弱に見えた。格好も裏街道系のファッションではなく、今で云えばユニクロ風の地味な服装だった。
 だが、周りのみんなはMさんを極度に恐れていて、腫れ物を触るように接していた。新参者のぼくは――と書くとまるで組に入ったみたいだが――、Mさんの側近になるように押しつけられた。無知なぼくはそれを引き受けた。
 神奈川とはいえ札幌に比べれば、当時は都会だった。ぼくは楽器屋巡りをしながら音楽雑誌を買って、部屋で横臥しながら貪り読んでいた。
 チャイムが鳴ってMさんが帰ってきた。一応起きあがって挨拶をする。するとMさんが雑誌に眼を遣り、「ジェービーか」と言った。
 頁にはジェームス・ブラウンが載っていた。ぼくは嬉しくなって「知ってるんですか?」と訊いた。
 するとMさんは「アメリカの北島三郎だろ?」と言った。ぼくはてっきり「ロッキーに出てた奴だろ」と言うだろうと予測していたので、その裏切りになおさら嬉しくなった。
 後で聞けばMさんは読書家で、確かに知識の幅は拡かった。
 
 Mさんには奥さんが居た。R子さんという、めちゃくちゃな美人だった。
 譬えがマイナーで申し訳ないのだが、元・プッシー・ガロアのニール・ハガディーが率いた『Royal Trux』というバンドでVoだった「ジェニファー・ヘレマ嬢」を御存知だろうか。モデルも兼任していて異様に痩せていた麗しきジェニファー嬢――R子さんは、彼女とそっくりな資質をもった、“病的な美女”だった。
 だが、いつも顔面には青い内出血の痕があり、口元にはかさぶたがあった。長い髪はそれを隠すためだと思われた。
 ふすまが閉じられた和室から、いきなり怒号が鳴り響く。なんの前触れもない。
 湿った音は細胞が潰れてる音で、乾いた音は頭蓋骨が石膏ボードを割ってる音だった。
 慣れてくると情景が浮かび、好機が判るようになる。怒号の後、ぼくは玄関で靴ひもを結ぶ。そしてMさんはふすま越しに叫ぶのだった。
「ごめーん! ちょっとどっか行ってきてー!」
 ぼくは玄関のドアを閉めながら言った。
「いま出るところですー!」
 
 月夜。閉じていたふすまがスッと開いて、その十センチほどの隙間から、空の湯飲みが出てくる。
 畳に置かれた湯飲みをそっと持って、台所の蛇口をひねって五分ほどの水を汲み、元の場所へ戻す。
 すると、ゆっくりと細い腕が伸びてきて湯飲みを掴み、乱暴にふすまが閉まる。
 白い粉を溶くための水である。
 
 ある日、玄関で靴紐を結んでいると、R子さんが寄ってきた。
「どこ行くのさ?」
 結われた髪で疵だらけの顔面は露出していたが、それでも充分に美人だった。
「ちょっと街の方に行くんです」
「乗っけてったげる」
 R子さんは珍しくはしゃいでいた。素面なのかどうかは、ぼくには判らなかった。
 ベコンベコンに凹凸のある、ボロクソのMR-2だった。
 助手席側の外で呆れていると、R子さんはアクセルを何度もふかし、そしてウインクを寄越した。
 いきなりホイルスピンで発進した。囲っている型枠用の鉄パイプに、駐車場に敷かれていた砂利が当たって、小気味よい音が鳴り響いた。ときおり混じる鈍い音は、近くに停めてあった車にでも当たったのだろう。
 急発進&急ブレーキが基本のようで、ぼくの首は幼児のように居場所がなかった。ちなみにブレーキは赤信号に当たったからではなく、突っ込んだ先に車が通ったからだ。信号は、完全に無視だった。
 あっという間に街に着いた。車を降りてR子さんを見送ると、煙とゴムの灼ける臭いが鼻を刺した。
 
 街を徘徊して、徒歩で家に帰った。チャイムはもちろん御法度で、まずは玄関ドアに耳を当てて、情況を把握しなければならなかった。何事もなさそうだと確信してから、初めて鍵穴に鍵を挿すのだ。
 おそるおそるドアを開けると、居間ではSくんを交えての団欒だった。
 Sくんというのは、Mさんの連れ子で二歳の男の子だった。よく子守をしたのでSくんはぼくになついている。子供というのは、たとえ親が邪悪でもそこから逃れる事はできない、と思ってSくんと接してしたが、この年齢にして“人を睨み付ける”という業を習得していた。二歳児が、眉間に皺を寄せて凄む、のである。
 R子さんは自棄に張り切っていて、晩ご飯の支度をしていた。ぼくは、MさんがSくんをあやしてる隙を見計らって、R子さんの後ろ姿を窃視していた――「なんて美しいんだろう!」
 
「ハーイ、できたよー!」
 R子さんはちゃぶ台に料理を並べた。こんな光景は始めてである事はみんな感じていたらしく、それぞれに首を伸ばして皿を覗いた。
 Mさんはむしゃむしゃ喰いながら、時折息子に破片を与えていた。実母じゃないR子さんの矛先は、ぼくに向かった。
「どう? 美味しい?」
 卵焼きにもやしを混ぜるのはどうかと思ったが、言えるはずもない。
「めちゃめちゃうまいっス!」
 ぼくは、マンモス西を装った。
 
 布団を肩までかけた時、和室の向こうで戦争が始まった。
 怒号よりも大きいのは、Sくんの号泣だった。
 ぼくはSくんを抱きかかえて、夕涼みをする。
 ド深夜の夕涼みに泣きやんだ子供は、外灯の下で急にぼくを睨み付けた――ホラーだ!
 
 
 想い出すなぁ、みんな元気かなぁぁぁ! おーい! 生きてるかー! 若頭は釧路で野垂れ死んだゾー! Mさーん! R子さーん! 生きてっかー! Sくーん! おれを憶えてるかー、おれは憶えてるゾー!
 
 なんか、ニュースを観て、胸がキュンとしちゃった。
 ごめんなさいね。