追憶の推進力

 
 北京オリンピックに向けての緑化計画を、なにを履き違えたのか、緑色のペンキを地面に噴霧している画像を見て、ぼくは確信した――
「こいつぁパンダもペインティングに違いない。あれはシロクマだ!」こと、ですこです。
 参照URL
http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/archives/50010839.html
 
 最近、忙しい。普段は読書で眠気をじらし続けるのだが、昨夜は珍しくスイッチが切れるように眠ってしまった。そうして日々、血と汗とカウパーを垂らしながら働いているのにこの住民税の額、大抵の人はほぼ倍額になってるだろう。しかし同時に所得税が四割ほど減額されているはずである。ぼくの計算では実質二割の増税になっているので“相殺説”は嘘である。
 年金問題然り、お国のやることが不条理なのはいつの世も同じである。
 考えてもみて欲しい。
 国会議員の数を700人として、それと同じ規模の中小企業があるとする。果たしてその会社に前科者がいったい何人いるだろうか? ゼロもしくは1%に満たないはずである。
 ところが国会議員には、何人かはわからないが、前科者の割合が少なくとも一般企業よりは高いし、なおかつ解雇後に復職できることがままある。
 そんな不埒な団体が国を動かし、しかもそれを選んだのは国民であるという事実を改めて認識すると、ぼくはクラクラと眩暈を覚えてしまうのだ。
 誰が言ったか忘れたが、こんな言葉がある。
「政治家になるということは、真っ白なシャツを泥水に放り込むようなものだ」
 シャツというところがミソだ。結局、裸で飛び込む気概の持ち主はいないのである。
 ぼくは、国会議員をもっと増やせばいいと思う。もちろん国家としての給与の支払い総額は今と同じで、年収1000万を500万にして、数を倍にすればいい。330万で3倍でもいい。そうすりゃ前科者の割合が薄まるってもんだ。
 
 お金にまつわる面白い文章をネットで見つけたので、貼っておく。原文の誤字は修正し、若干の改稿をしている。

メキシコの田舎町の海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が、小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも活きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」
と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。
旅行者が、
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの?」と旅行者が訊くと、
漁師は、
「陽が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって……ああ、これでもう一日終わりだね」と答えた。
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい? きみは毎日、もっと長い時間をかけて漁をするべきだ。それで余った魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
「それからどうなるの?」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」と言った。
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、陽が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌を唄って過ごすんだ。どうだい、すばらしいだろう?」

 これが所謂『LOHAS』の本質だろう。
 同じような短編が中島らも著『人体模型の夜』にも収録されていたが、彼の場合はもう一段オチがあって、さらにそれをホラーに仕立て上げてる辺りが、らもがらもたる所以である。
 
 忙しい中、会社に無理を言って午後出勤にしてもらった。母の病院から呼び出しを喰らったんである。
 リハビリを要する場合、発症から2ヶ月以内にリハビリ専門の病院に移らなければならない、と法律で決まっているらしい。今の病院もリハビリ病棟があるのだからそのままなだれ込めばいいじゃん、というのはどうやらぼくの勘違いだったらしく、担当医は剣幕で「早くお決めなさい」と言う。久し振りに他人に叱られて、シュンとなってしまった。
 要するに「治療で保険点数を稼いだら後は用無しなんだろう?」などと、悪く言ってみる。もっとも本質が明らかになるとき、大抵の場合は汚れてしまうのだが。
 御高説を聞き終わり、母子共にシュンとうなだれながら車椅子を押して小部屋を出る。
 あなたが誰かの車椅子を押したことがあるのなら、ある特有の感情を抱いたことがないだろうか。
 ぼくが初めて車椅子を押したのは、今から10年ほど前で、事故によって半身不随になってしまった友人の車椅子だった。
 ゆっくりと彼の車椅子を押していると、ぼくはとても神聖な気持ちになった。もの凄く価値のあるものを運んでいて、さらにぼく自身が選ばれた人間であるような錯覚さえ抱いたのだ。
 その感情は母も同じで、あるいはまったくの他人に対しても覚える感情なのかもしれない。最近は特に性悪説を支持するぼくも、人間の本能に奉仕の精神が宿っていることは否定できないし、その精神に従うことで福祉という概念が誕生したとさえ思えてしまう。つまり奉仕は、快感なんである。
 たぶんぼくは、車椅子を押しながら、乳母車の日々を想い出しているんである。