こんばんは、ダメ人間です

 
「わひふぁ、かひへひたのかよ(町田、歌詞できたのかよ)」
「ああ、できとるよ」
「ひゃあ、ひかへろよ(じゃあ、聞かせろよ)」
森雪之丞みたいな歌詞ちゃうけどな」
「ひいからふぁやくひはへろよ(いいから早く聞かせろよ)」
「のうなし〜おんなの〜フェラチオが〜♪」
「ひゃんひゃ! ほのひゃひ!(なんだ! その歌詞!)」
「おめぇの嫁さんのことやで」
「ひゃひおう! ふんがりこーん! バチーン!(なにおう! トンガリコーン! スコーン!)」
 
 こと、三十四歳ですこです。
 
 弾丸ロック w/町田康

 じつはマブダチと見た。
 
 三十歳成人説なんてものがありますが、それは夏休みの宿題を先延ばしにする小学生と同じ発想です。むきたてのトイレットペーパーはなにも考えずにどしどし使いますが、芯に近づいて終わりが見えてくると大切に使いますし、替えがないのなら葉っぱでだって拭きます。最期まで自分の手を使おうとしないのは、寿命も排便も一緒です。
 例えばアフリカのシエラレオネ共和国の平均寿命は三十四歳ですし、明治元年には近藤勇土方歳三が死んでいます。織田作が死んだのも三十四歳で、太宰が初めて会った時の印象は「なんてまあ哀しい男だろう」だったそうですが、翌年、太宰も死んでしまいます。海外ではガガーリンが、訓練中の事故によって死んでいます。「地球は青かった」との言葉は、現在の地球の青臭さを予見していたのかもしれません。
 これは動物の話なんですが、「巣立ち」という言葉はみなさん御存知かと思いますが、時期を逃して巣に留まった子供に対して、親は絶対に餌を与えないそうです。巣立たないと飢え死にしてしまうんですね。
 鬱屈したニートが親を殺すという事件がありますが、ぼくは彼らの気持ちが解ります。成人してすぐに家を出たんですが、出戻りをして、更に東京をフラフラして、まーた出戻りしたんです。それから無職の期間が数ヶ月続いた時期の、母親のあの冷酷な態度たるや凄まじかった。無職だと昼夜逆転してしまうので、親が帰宅した時にはぼくはまだ寝ているわけです。そして寝ているぼくの頭を足でばこんと蹴り上げるんですよ。酷いでしょ? そして目覚ましよろしくむくっと起きて、晩御飯の時間に“朝食”を摂るわけです。もちろん、眠っている息子の頭を蹴り上げるような母ですから、晩御飯の支度は自分のぶんしか作りません。それでもジャーには米があったので、母が入浴している間に素早く居間に忍び込み、「ベーコンエッグ丼」を手早く作って一気に掻き込むのです。咽せ返っていると、浴室から母の絶叫が聞こえてくるんです――「あんたー! シャンプーどんだけ使ったのー!」と。
 ぼくはいよいよテンパった。「こんなに辛い思いをするくらいなら働いた方がマシだ!」
 若さゆえなんでしょう、そんな当時のぼくにも彼女がいたんです。男の場合は無職と呼ばれてしまうけど、女性の場合は同じ無職でも“家事手伝い”との曖昧さがまかりとおることを、少し疎ましく思いました。実際、彼女はいいところの娘で、絵に描いたような“家事手伝い”でした。
 若いので、性欲は毬藻羊羹のように腫れ上がっています。けれど、お互い実家暮らしなのでそれを遂行する場所がない。しかも金がない、でもヤリたい!
 カラオケボックスなんてのはまだいい方で、雑居ビルの階段の踊り場、マンションの外階段――ぼくは行為をしながら「踊り場とはよく言ったものだ」と感心しました。
 それでも、たまにお金があるときはラブホテルに朝から行くんです。サービスタイムというのがあって、午前九時から午後五時くらいまでは一律三千八百円くらいなんです。
 まずは一発ヤッてジャグジーに入ります。風呂上がりにもう一発。正直、ぼくは朝の一発で満足していたのですが、午後の一時にもう一発。時計は三時を指して、テレビでは競馬中継が始まります。それを合図に騎乗位でもう一発が始まります。
 さすがに「もう、ちょっと……」と拒んだ色を見せると、彼女はぺしんとぼくの頬を軽く叩いて腰を振り始めました。その時の眼は、「無職なんだからちんぽくらい勃てなさいよ」と言っているようだった。ぼくの中である種の卑屈さが芽生えてきてしまって、それは奉仕の終焉を意味していた。するのも、されるのも、もう終わりだ。
 サービスタイムを終えてホテルを出る。やっと家に帰ることができる、と安堵したのも束の間、彼女はぼくの手を引きながら雑居ビルを見上げて、ニヤリと笑った。もはやぼくの顔面は古い茄子のように、重くしなびていた。それはぼくのムスコも同様だった。小茄子をくわえながら上目遣いで見る眼は、さきほどと同じことを言っているように思えた。
 地下鉄に乗って、這々の体で実家のドアを開けた刹那、母がこう言った――「あんた! どんだけトイレットペーパー使ったのさ!」
 それからです。ぼくが本気で仕事を探し始めたのは。
 
 三十四歳の台詞じゃないけど、ぼくは礼服を持っていない。結婚式には何度か行っているが、ラフな友達ばかりで必要性がない。親戚が死んだときも学生服の時代だった。
 幸せなことに、ぼくの近しい友人たちはまだ誰も死んでいない。ぼくはこのまま礼服を持ちたくない。
 ぼくが鬱屈していた時期を支えてくれたのは、ほんとうは友達だけだった。お前らだよ、soichikoと于吉。
 これからもよろしくおねがいします。
 
 そして今日は、中島らも翁の四回忌です。合掌。