すべての物質は無害である

 
 今夜もビールがぬるい、ですこです。谷川俊太郎ならこう書きます――「汗とビールをバランスさせて」と。凄い!
 
 マレーシアでの「鞭打ちの刑」執行の映像がネット上に流出していて、思わず見入ってしまった。
 丸太かなにかに拘束された囚人は、大きな棒によってフルスイングで思いっきり尻を殴打され、数発目で赤味を帯びて、十発目にもなると尻がひくつきはじめ、以降は血だらけになっていた。全治一ヶ月はかかるだろうし、その間、座ることはできないだろう。
 彼が犯した罪は麻薬の密売だったようだが、たとえば日本で覚醒剤の売人が懲役五年を科せられるのと、尻を二十回叩かれることで放免されるのと比べると、後者の方がはるかに軽いと思われた。体罰と言っても“尻”である。殴打されるべき場所の中で、最も安全な部位だろう。確かにプリミティブで惨たらしい映像だったが、どこかコミカルでもあった。
 ぼくが好きだったカーター前大統領は、麻薬の問題についてこう言った――「麻薬を用いる者に与える罰は、彼が受ける身体的(及び精神的)ダメージを超えてはならない」と。売人によって麻薬は蔓延するが、なにも無理遣りチウと注射をしたわけじゃないだろうし、最終的には本人の意志だ。そして何より“精製”するからだめなんだ。
 ヘロインではなく阿片、コカインではなくコカ茶、覚醒剤ではなくモルモンティー、メスカリンではなくペヨーテジュース(苦そー)etc. 麻薬もプリミティヴであるべきだし、中毒から嗜みへと変わってゆく(呼び方の問題かもしれないが)。
 これは本で読んだ話ではなく、友人から聞いた生の話だ。
 濃い覚醒剤を一度でも射ってしまうと、その一発によって狂ってしまう人が実際にいるらしい。彼はそういう人間を何人か見てきていて、そういう人たちを「シャブ呆け」と呼んでいた。「それって治らないの?」と訊くと、「絶対に治らない」と断言した。「どうして君は呆けなかったんだい?」と訊くと、「運が良かっただけ」と言った。どうやら個体差があるらしい。
 或る更正した元・麻薬中毒者は、講演の最後でこう語る。
「あんなイイもの、ただの一度でもやるべきじゃないね」
 そう言ってから、隙間だらけの歯を見せてニカッと笑うらしい。
 ぼく? 一回だけある。袖を捲って、針の先をライターの火で炙っていると「ああ、おれもついにここまで堕ちたか」と思ったと同時に、チープな科学者根性がサブイボを立てた。他の奴らは射った瞬間に、風呂上がりの水を切る犬みたいな武者震いをしていたけど、ぼくはいたって普通だった。後で聞いたことだがとても薄いヤツを射たれたらしい。それは、ぼくに気を遣ったのか、それとも単に勿体なかったのかは知る由もない。
 数時間経って、鏡を覗き込んで驚いた。どんなに光を当てても瞳孔が全開なんである。空恐ろしくなって布団に潜ったが、眠気はまったく訪れず、諦めた頃にある種の万能感が全身を包んでいることに気づいた。それは湿ったものではなく、もの凄くポジテヴでカラッと乾いていた。街に落ちている空き缶や吸い殻をすべて拾いたくなるような、歩道橋で尻込みしているおばあちゃんたちをおんぶしたくなるような、いわゆる“善”に直結していた。
 丸二日間、眠れず万能感で満たされていたが、消沈してくると「これは相当にヤバいものだぞ!」ということに気づいた。運良くマリワナや酒という比較対象があったので、より安全な(?)それらに帰結することを固く誓った。
 ただの一度でも射つべきじゃないが、いま本当に自殺を考えている人が、その一発によって生きてゆけるのならば、射ったっていいんじゃないかとも思う、というのは言い過ぎですか?
 


 
 書いていると、チャイムが鳴った。
 脳内の受動体に作用する神経物質と同じように、目に見える物質にも絶大な効果があり、そしてもちろん中毒性だってある。
 すべての物質は麻薬である、とは過言じゃない。いま、ぼくの脳内ではドーパミンの暴れ太鼓が鳴り響いているのだから。
 

 *追記 at 23:59 24mm広角、ヤバイくらいに面白いぞ! そして、VFはいらないかも! それに惚れて買ったのにぃっ!