ヒクリさま

 
 ぷにぷにポーカーフェイス、ですこです。5kg痩せました。嘘です。
 
 スピリチュアルとは元来「霊的、精神的な」という意味らしいですが、最近は狭義として前者が幅を利かせているようです。ぼくは霊視を信じませんが、幻視は支持します。第三者に霊視されることは好まないけど、自分で視た幻は信じるに値するということ。また、幻視するためには能動性が必須で、占い師に未来を託すこととは真逆の発想です。それはお化け屋敷へ飛び込むことと似ているし、自らのからだ全体を遊園地と捉えて、精神だけが客になるわけです――チケットは“ドラッグ”。
 魔女がホウキに跨って空を飛ぶ絵はすぐに思い浮かぶと思いますが、あれというのは箒の柄になんらかの薬物を塗布してそれを膣に挿入してFLYならぬTRIPしている様子を描いたものだ、という説もあります。つまり〈魔女の宅急便〉は、運び屋なのでしょうか。
 古典の童話では、明らかにシラフでは発想できない突拍子もない物語がありますが、これは海外古典文学同様、なんらかの向神経物質の影響を受けているに違いありません。ここで鼻息を荒く「ドラッグを使わなきゃなにもできねえのかよ!」などと短絡的に批判する人は、ドラッグを用いてもなにもできない浅はかな人です。
 菩提樹の下で覚醒した釈迦や、曼荼羅華(チョウセンアサガオ)という言葉から判るように、幻覚イメージが宗教の基底にあることは明らかであり、神秘体験が危険思想だと弾圧されてきた宗教の教典では、特定の用語を使って体験を説明することで妥協をしています。
 癒し系(うわ!)の大家アンドルー・ワイズ博士はこう述べています。

我々の周囲には意識に変化をもたらすと思われる薬物がますます増えてきているが、そのことは個人として、また社会的存在としての我々に重大な問題を提起する。その問題とは、たとえばこれらのドラッグは精神と肉体の関係についてなにを教えてくれるのか? それらは意識を拡大する方向に心の在りかたを変えるために正当な手段なのか? 社会は意識を変えようとする個人の衝動とどのように折り合いをつけることができるのか? こうした問題提起が重要な意味を持つのは、それが意識の本性と直接関係があるからであり、ひいてはトータルな知的関心を注ぐに足る唯一の問題であるからにほかならない。これに比べるとそのほかの問題など、結局は同じことをより不正確に言っているにすぎない。我々は誰もが、程度に差こそあれ意識の問題に取り組んでおり、それによって得た結論は我々が自分自身と全世界をどう考えるか、いかに生きるか、いかに行動するかを決定する。

 
 コロンブス以前の十六世紀の南米で支配的勢力を誇っていたアステカ族は、宗教儀式に〈ペヨートル〉というサボテンを用いていました。現在ではペヨーテと名を変えたその語源は「不思議なもの」です。このトゲのないプニプニしたサボテンとは呼びがたい植物の和名は〈鳥羽玉(ウバタマ)〉と言い、学名はロホホラ・ウィリアムシー、あるいはアンハロニウム・レヴェーニと言います。
 日本で話題になり始めたのは八十年代で、よからぬ噂を聞きつけたよからぬ輩がよからぬ目的でペヨーテの輸入を始めたからに違いありません。マジック・マッシュルーム同様、インディオたちが儀式に使うとなればトリップは確実です。
 インディオたちは、地上部分をナイフでカットしてそれを天日で乾燥させます。これをメスカル・ボタンと呼びます。それを三つか四つ、口に含み延々と噛み続けて、植物塩基の〈メスカリン〉を体内に取り入れ、シャーマンの指揮のもと、彼らは神と交信するのです。
 このメスカリンを世に広めたのは、イギリスの作家オルダス・ハクスリーでしょう。彼が書いた〈知覚の扉〉というメスカリン体験記の書は、ロックバンド〈ドアーズ〉のバンド名の由来としてあまりにも有名です。
 また、フランスの詩人にして画家であるアンリ・ミショーも〈みじめな奇蹟〉という本の中でメスカリンの効用とハシシの違いを記しています。旅人から始まった彼は、メスカリンと出会い、今度は精神世界の旅を始めます。
 我が日本でもメスカリン体験記を書いた猛者がおりまして、彼の名は中島らもと言います。〈アマニタ・パンセリナ〉という本でその体験記が読めるのですが、先に挙げたシリアスな二人とは違って、苦いメスカルボタンをなんとか胃に流し込むまでの描写が滑稽で、とても面白い。
 もっと面白いのは、らもが「こりゃ、効いてない」と諦めて、矛先を日本酒に変えたときで、彼はハクスレーやミショーとほとんど同じ体験をすることになります。詳細は書籍を参照されたし。
 

アマニタ・パンセリナ (集英社文庫)

アマニタ・パンセリナ (集英社文庫)

 
〈アマニタ・パンセリナ〉よりもうんと昔、ぼくが二十歳のころ、精霊〈ヒクリさま〉が宿っているペヨーテが欲しくってたまらなかった時期がありまして、当時同棲していた彼女に誕生日プレゼントはなにが欲しいかと訊かれ、迷わず「ヒクリさま!」と言った。当時はインターネットも普及していなかったので、どの花屋に訪ねてもヒクリさまは居ませんでした。電話帳でサボテンに強いお店を調べて、白黒の写真が載っていた本を切り抜いてそれを持参し、出向きました。
「このサボテンが欲しいんですけどー」というと、店員は「あー、ウバタマね」と言いました。ぼくは和名を知りませんでした。
「値段はまだわかんないけど、取り寄せてみる?」という店員の台詞に、彼女の顔は曇りましたが、ぼくは「お願いします!」と言いました。
 それから一ヶ月後、入荷の知らせが留守電に入っていたので、彼女の腕を引っ張って花屋に急ぎました。輸送で取り寄せたのか、梱包のまま手渡されました。小さい箱のくせに八千円と高価でしたが、支払うのはぼくじゃないので関係ありません。ちなみに同じ時期の彼女の誕生日、ぼくがあげたものは三千九百円のパジャマでした。ほんとうに金がなかったんです。
 箱を開けると、鉢に入ったヒクリさまがいました。ぼた餅みたいにプニプニしていてじつに愛くるしいサボテンでした。わたしたちは〈ペヨ子〉と名付けて、毎朝ペヨ子のグラマーなボディを人差し指でつんつんしました。
 そのうちペヨ子にも白い毛が生えてきて、名を〈ペヨ造〉に変えたあと、花が咲きました。財津和夫の〈サボテンの花〉じゃありませんが、じつに質素な、つましい花でした。
 花が枯れて数週間後、ペヨ子の周りに小さな子供が生えていました。ぼくは彼女を叩き起こして「おい! ペヨ子に子供が産まれたぞ!」と言いました。子供のぶんも、と直射日光下で水を多めに遣り過ぎたのがまずかたんでしょう、おそらくは根腐れを起こしてペヨ子ともども徐々にしなびてきて、最期は干し柿みたいに黒く縮んで死んでしまいました。当時、腐った根を断ち切れば事なきを得たというテクニックは、知らなかったのです。
 
 もし、ペヨーテを飼おうとしている好事家がいるのなら、水の遣りすぎには注意するべきです。最も生命力があるサボテンですので、夏場は日陰で水遣りは週一、冬場は窓際で水遣りは月一程度が丁度いいでしょう。
 もし、たとえば事務所開設祝いなどにペヨーテを贈ろうとしているお莫迦な人がいるのならば、相手を考えるべきです。自分のセンスが相手に通用するかどうか、熟考しなければなりません。ましてやブツは聖なるヒクリさま、特別なサボテンです。特別なものは特別な人に贈らなけらば、特別とはいえません。特別が無下にされるほど悲しいことはないのです。なにより大切なのは、「ヒクリさまがあなたを護ってくれるでしょう」という希いにほかなりません。
 もし、個体と一緒に種が同封されていたのなら、それは喜ぶべきことです。よからぬ目的によって乱獲されている現在、生体の輸入はワシントン条約によって規制されているはずなので、国内で出回っている個体のほとんどすべては、血統が不明な国内で飼育されたものです。しかしながら、その種はおそらく南米の直仔です。花屋で売っているパックされた種同様、種は非常に長生きします。とはいえ、マンボウの卵じゃありませんが、種から発芽、そして生体までの確率はかなり低いはずですので、財布の中にしまうなどという蛮行は避けるべきです。
 あと、なるべく話しかけてあげて下さい。
 自作した奇怪な機器によって植物との会話を試みた日本人のじいさんは、たしかイグノーベル賞を穫ったはずです。特に植物の中でもサボテンは、話しかけると成長が早くなると言われています。中でもペヨーテは冗句が好きらしく、自作の小咄などを聞かせると喜ぶようです。
 ヒクリともしなくても、諦めちゃあいけません。