がさつで、ほろ苦いやつ

 
 四コマ漫画、特に『ボッキー・ホラー・ショー』を偏愛していた、田島ですこです。
 
 今日は夕方からの出勤だったので、昨夜は夜更かしをしていつの間にか眠ってしまい、ふと目を覚ますと朝の六時だった。部屋中の照明やパソコンのモニタが煌々と灯っていたが、構わずそのまま二度寝をするときの快感がタマランチ会長。
 昼に起きておやじのシャワー、着替えて家賃を納めに大家宅へ。母の全財産が入っている吉田のカバンを持って郵便局へ行き、医療費を引き出す。腹が減ったので最近お気に入りのラーメン屋へ行こうと思ったが、ラーメンの食べ過ぎなのでやめておく。このラーメン屋、ぼくが足繁く通っているお店の姉妹店(チェーンではない)で、本家に負けず劣らずめちゃくちゃに旨いのだ。本家との差別化のためだろうか、売りはスパイシー・ラーメンだが、正直あまり美味しくない。けれど、味噌と醤油が劇的に旨いんである。たぶん店主は「スパイシーを押し出したのは失敗だった」と思っているだろうが、いまさら引っ込めるわけにもいかないだろう。うーん、勿体ない。でも空いてるのでぼく的には嬉しい。マイナーなので宣伝してもいいでしょう。ここです。行っとけ。間違いないから。
 寅乃虎(とらのこ)
 札幌市中央区南5条西24丁目3−7
 営業時間 11:00〜22:00 水曜定休 駐車場2台

 そんなわけで昼飯はココイチへ行くことに。半年に一度くらいのペースで食べると、うまいなぁ。なんだろ、このうまさってば。会計を済ませて車に乗り込むと店員が走り寄ってきたので、なにごとかと思ったが、彼女の胸には全財産が入っている吉田のカバンが抱えられていた。あぶねえあぶねえ。ラーメン屋のカウンター下だったら病院に着いてから滝汗が流れただろう。
 高額医療制度は四回目の支払いからおよそ半額になるので、今回は安かった。ちなみに無保険ならば百万円は優に越えてしまうので、ぼくは支払いのたびに日本の医療制度のありがたさを噛み締めている。同時に民間の任意保険のありがたさも。母は数年前、生保の担当者に「保険をやめようかしら」と言ったんだが、「いえ、なにがあるからわかりませんから、やめない方がいいです!」という営業トークに押されて継続し、去年が舌ガン、今年は脳梗塞と、結果的にかなり救われることとなった。
 保険会社の不払いが問題になっているけど、少なくとも太陽生命はめちゃくちゃに金払いがいい、ということを経験者が語っておきましょう。ぼくも太陽生命にしよっと。つーか、保険と宝くじって同じだよねぇ。当たったもん勝ち、とは不謹慎だけれども。
 母と談笑をしていると、携帯が震えた。病室内は携帯電話の使用が禁止だし、画面を見ると知らない番号からだったので無視した。帰宅しようと車に乗り込み、携帯を開いてみるとさっきの番号から留守電が入っていた。いちおう聞いてみると、絵に描いたような営業トークが録音されていた。
「もしもし〜Y尾ですぅ〜。ごぶさたしておりますぅ〜。また日を改めてお電話差し上げますぅ〜。失礼いたしますぅ〜」
 Y尾なんていうやつは知らない。タイムリーだが、時期的に住宅保険の更新かなんかだろう。いかにもそういう口調だった。
 帰りがけスーパーに寄るとほうれん草が安かったので、晩ごはんは常夜鍋に決定。これなら簡単なので夜の帰宅でも支度が億劫じゃない。ほうれん草を水に浸し、切り込みを入れた昆布を鍋に入れて夕刻に出勤。
 勤務中、さっきの留守電を想い出した。Y尾、そういえば同姓の男が中学の同級生にいた。留守電をもう一度聞いてみると、Y尾っぽい声に聞こえなくもない。やつとはもう十年以上会ってないので、声の記憶はほとんどない。それに、もしY尾だとすればなんらかの自己紹介があってもいいはずだ。
 帰宅後、発泡酒を呑みながら掛け直すべきかを思案した。そもそもY尾とはそんなに親しくないので、おそらくはア○ウェイなどのマルチ商法紛いの勧誘で電話を寄越したのだろうと予測したが、なぜぼくの携帯番号を知っているのかが気になったので掛けてみることにする。
 繋がったが、ぼくは無言を決めた。するとY尾は弾けたような声でしゃべり始めた。
「いやー、ですこ! 久し振り! 元気?」
 この無駄なテンション、やはり勧誘に違いない。ぼくは極めて無愛想に言ってやった。
「なんだよいきなり。誰に番号訊いたんだ?」
 するとY尾は意外な返答をした。
「Y司に聞いたよ」
 ギョッとした。以前にも某学会員が選挙の間近、Y司からぼくの電話番号を聞き出して掛けてきやがったことがあった。だから言ってやった。
「もう選挙は終わったぞ。おれにもD作のケツの穴を舐めろってか、コノヤロゥ!」
「違う、違うって!」
「ほう? いらねえぞ、カルトのフライパンなんか。レミの方がまだマシだ!」
「ア○ウェイじゃないって!」
「じゃああれだろ、ハー○ーライフ」
「違うってば!」
「シ○ジーか? コノヤロゥ!」
 Y尾は急に黙り込んで、溜息が漏れたのが聞こえた。そしてゆっくりとしゃべり始めた。
「あのね、おれいま所長なの。出世したの。もう飛び込みの営業はしないんだけど、こないだ部下に付き添って飛び込んだ先が、たまたまY司の家だったの」
 Y尾が、いわゆる『置き薬』の営業マンをやっているのは知っていたが、いまでも続けていることが意外だった。けれど、やつの性格からして飛び込みの営業は向いているだろうとも思った。所長まで登り詰めたのなら、やつは相当数を売り捌いたに違いないし、やつならそれも可能だろうと思えた。
 Y尾とは中学一年生の頃にしょっちゅう遊んでいた。これは今でもそうなんだけど、ぼくの友だちには不良かオタクの両端しかいない。いわゆる普通の人――つまりはマイホームを建てて週末にはバーベキューをするようなCM幻想を体現している人は、ほとんどいない。
 Y尾はオタク寄りの友だちで、ぼくたちはいつも絵を描いていた。絵といっても美術ではなく、漫画だ。Gペンを知ったのもそのときで、よくY尾を誘って文房具屋に通い詰めた。スクリーントーンや顔料を買い込んで、お互いをモチーフにしたクダラナイ四コマ漫画を見せ合った。
 いま想い出した。当時、ぼくは模写を極めることに苦心していた。そのくせカーボン紙は邪道だと思えたし、等倍でしか写せないことが大いに不満だった。
 そこで登場したのが『コピア』という商品だった。ググっても一件しかヒットしなかったので、使用したことのある人はあまりいないと思う。
 コロコロコミック等の巻末ページに掲載されている、児童向け通販とでも呼ぶべきページに『コピア』は載っていて、それは忽然と輝いていた。謳い文句は「自由自在に拡大縮小コピー」だった。これしかない、と思った。当時、九百円程度の価格だったが、親の捺印が必要だった。末っ子というのは密かに家計を熟知しているので、滅多におねだりはしない。捺印はすぐに得られた。
 数週間後、コピアが届いた。パッケージはまったく未来的で、その神々しさに眩暈がした。説明書を読んで、机に齧り付いた。
 二時間で落胆した。いや、二時間も頑張ったというべきか。
 コピアのすべてを文字で説明することは難しいし、記憶も曖昧なので、ネットで拾った画像を載せておく。
 
 覗き窓には何枚かの鏡が仕込まれており、模写の対象と白紙が左右に写るようになっている。覗き窓を下げて角度を変えれば拡大縮小もできるし、反転しないよう合わせ鏡も内蔵されていた。
 しかし、である。対象を白紙に投影させるためには相当な光量が必要で、その眩しい光を左目で浴びつつ右目で模写をするという荒技が求められた。説明書をよく読むと「白い紙には写せません」とあって、愕然としたのを憶えている。
 ぼくはY尾に電話をした。
「素晴らしい製品がある。買わないか」
「え? なになに?」
「拡大縮小が自在な、その名もコピアである」
「コピア、かっこいい! 買う買う!」
「二千円である」
「明日学校に持ってくよ!」
 Y尾とは、そんな風に一年間を過ごした。
 そのあとエレキギターとシンナー袋を手にしたぼくは、いつしかオタク友だちと一線を画すようになる。
 
 Y尾は、あまり人に愛されるタイプではなかった。ガタイもいいし、すぐに調子に乗るので、よく不良たちにボコボコにされていた。ぼくは何度か彼を助けたことがあるが、それは彼と過ごした一年間がそうさせるのであって、それを知らない人たちは彼を気に入いるはずがなかった。ガサツで、自己中心的な男だった。
 彼の素性を表すエピソードがある。
 中一のとき、嫌がっているぼくをY尾はお祭りへ行こうと執拗に誘ってきた。近所の祭りではなく、市内の全校が授業を早く切り上げるようなお祭りだ。ぼくは渋々了解してY尾の家のチャイムを押した。ぼくのクソ団地とは違って、Y尾の家はいかにも中流家庭というべき、一戸建てだった。
 元気よくY尾が応対した。彼が靴紐を結んでいるとき、背後にいたお母さんが吐き捨てるようにこう言った。
「あのね、ですこくん? ウチの子をもう誘わないでちょうだい!」
 ぼくは頭の中が白くなって、放心した。Y尾はぼくの腕を引っ張って「クソババァ!」と叫んだ。
 祭りへ向かう地下鉄の中、Y尾は何度もぼくに謝ったが、そのあとに祭りの楽しさを満喫できるのが、Y尾の凄いところである。なんて無神経なやつ、と思ったが、いま思えばY尾は家庭のしがらみから逃避したかったのだろう。実際、Y尾は親を殴っていたらしい。
 
 そんなY尾と、電話で三十分ほど談笑した。話の核は、あの一年間だった。
 会いたいな、と思った。