晶の歴史

 
 訓読みの『訓』は音読みぢゃい、ですこです。なに、この圧倒的な矛盾ってば。
 
 ふと思い出して、中島らも著『人体模型の夜』を読み返す。体の部位をテーマにしたホラー・オムニバスで、プロローグと最初の『邪眼』が特に面白くて、もう何度も読み返している。短編にも満たない掌編だが、らも特有の偏った知識が巧く散りばめれられていて、じつによく出来ている。初めて読んだとき、「うーん!」と声を出して唸ったものだ。滅多にあることじゃない。
 村上春樹×糸井重里『夢で会いましょう』をパラパラと読み返してみる。適当なカタカナの言葉をタイトルにして、それぞれがランダムに掌編以下の超短編を書いている。一編ごとの終わりに「m」か「i」のマークがあって、読み終えるまでどちらが書いたのかが判らない。でも読み進んでいくうちに、最初の一行でどちらかを判別できるようになってくる。「i」が冒頭からタイトルを文中に入れているのに対して、「m」はタイトルすら書かない。なんて判り易いんだろう。不思議なことに「m」の方が高尚に思えてきて、結局ぼくは「i」のほとんどをすっ飛ばして「m」しか読んでいない。特に『インディアン』が良かった。「で、その本、面白いの?」と訊かれたら、言葉につまる。眠れない夜や、睡魔をイジメたいときにチラ読みする類のもので、面白さでいえば『人体模型の夜』の圧勝だ。けれど、この本を枕元に置いてしまうと寝不足になってしまうだろう。
 
 
 たまに、思い出したように竹熊健太郎さんのブログを読むんだが、「ダダカン」の記事があって、驚いた。糸井貫二さん、まだ生きてたのね。
 十年ほど前の初期のクイックジャパンは、当時のぼくにとって非常に重要な本だった。とにかく興味をそそる記事ばかりで、毎号がたのしみで仕方なかった。未だに記憶しているのは、竹熊さんが書いた川内康範の記事と、同じく竹熊さんが書いたダダカンこと糸井貫二の記事だった。記憶力が貧弱なぼくでも憶えているのは、相当なインパクトがあったからだろう。
 戦後に活躍し、今は在野に潜んでいる異人たちを集めた『篦棒な人々』(べらぼうなひとびと)という文庫本が発売されるようです。ダダカンを知らない人は絶対に読んだほうがいい。めちゃくちゃに面白いから。ぼくが保証します。嗚呼、明日買いに行こっと。読みたい読みたい読みたすぎる。
 ちなみに、未だに現存してる、はてに引っ越す前の旧・日記のトップページの画像は、糸井貫二さんです(QJを接写して加工したもの)。
 
 
 たまに思う。
 そのころ、ぼくは携帯電話を持っていなかったし、周りでも持っている人はいなかった。いまにして思うと、あの当時どうやって連絡を取り合っていたのか、不思議で仕方がない。どうやって待ち合わせ場所に集合してたんだろうか。
 
 電話といえばテレフォン、テレフォンといえば恋人である。
 中年ならば誰しも経験してることだが、高校生の頃、電話ボックスへ走った記憶が蘇る。
 
 得てして思春期の娘を持つ親は、その彼氏を煙たがるものだ。特に父親は、丸味を帯びつつくびれてゆく娘の体を見ながら、その美を誰にも渡したくないと思うようだ(自分はその母にむしゃぶりついたくせに!)。
「今晩九時に電話する」などと書いた紙片を、廊下のすれ違いざまにそっと手渡す。
 下校は午後三時三〇分なのに、なぜか空腹で堪らない。“お湯の出る商店”でカップラーメンを買って、両肘でバランスを取りながら自転車を漕ぎながら食べる。そんな雑伎団が横に並んで道路を占拠している。
 帰宅して、空のカバンを部屋に放り投げる。一服して、着替え、ギターを背負ってスタジオまで自転車を漕ぐ。二時間の練習の合間、途中休憩で缶コーヒーじゃんけんが始まる。大抵の場合、ベースの奴が負ける。彼が缶コーヒーを買いに走っている間、残りのメンバーは「やっぱあいつはグーしか出さないな」と談笑しながら、たまにチョキを出す人間の選出を、またじゃんけんで決めていた。
 帰宅は午後七時で、死にそうに空腹だ。貪り喰って、すぐに部屋へ戻り、テレビをつける。居間でも同じ番組を見ている。
 九時、咳払いをしてから、彼女に電話をかける。
「はい、もしもし」
 親父だった。若干、声も荒い。やばい。
「さっちんいますか?」などと軽い声で嘘をつく。
「どちらにお掛けですか?」
「あれ? 久保田さんのお宅ですよね?」
「いえ、ちがいますが!」
 などと、バレバレの嘘をつくのが精一杯だった。
 
 三十分経っても折り返しの電話がない。もしかしたら折檻されてるのかもしれない。
 いてもたってもいられなかったので、とりあえず外に出る。閃いたアイデアは、代金引換の宅配業者を装った公衆電話だった。
 呼び出し音が鳴る。長い。出たのは、また親父だった。
「あのー、クロネコですが」
「はい?」
 もはや、コントだった。さらに親父は畳みかける。
「こんなに夜遅く来るわけないじゃないか!」
 そこで電話を切った。
 
 もう電話はできない。
 郊外の一戸建てまで自転車を飛ばした。
 そこは高級な新興住宅地ではなく、市街地に家を建てることが出来ない人が辛うじて建てたような新築と、地元の古屋が混在しているような場所だった。
 彼女の家は後者で、庭の手入れもおごそかだったので雑草が伸びている。その茂みに身を隠して、部屋の窓に小石をぶつけた。すぐにカーテンが開いて、窓から顔を出してキョロキョロしている。ぼくは無言のまま「オーイ!」とジェスチャーした。
 変な言葉だが、彼女は大声で囁いた。「こっちに来て」と言いながら、ぼくを手招きした。部屋は一階で、雑草をかわしながら忍び足で進んで、しゃがんだ体勢で外壁に張り付いた。窓から首を出した彼女を、ぼくが見上げる形だ。
 ヒソヒソしゃべっていると、夜の田舎のサ行を聞きつけたのか、隣の窓からぬうと首が出てきた。やばいと思ったが、彼女のお兄さんだった。眼が合ったので、無言のまま「ちーす」を表現するべく、インド人のダンサーみたいに首だけを前に動かした。幸い、お兄さんは味方だった。彼はギタリストで、よくギターの話をしていたのだった。
 すると、彼女が大きなあくびをした。時間と自律神経はまったく非情だ。
 
 帰宅は〇時を過ぎていた。
 鍵を持ち忘れたので、チャイムを鳴らす。カーラーを巻いた母が激怒した。
 部屋に戻ったぼくは、悶々としていた。
 あんだけ食べて、こんだけ活動しても、なにやら相殺できないものがあるらしい。
 居間から無理遣り奪ってきたビデオデッキは、ボタン音が「ガシャコン」と、やたらと大きい。だから最初は音楽のビデオを再生する。なぜなら、母の寝室とぼくの部屋は隣同士で壁もやたらと薄く、カモフラージュが必要なのだ。
 しばらく経ってから、エロビデオを差し込む。すぐに音声をミュートにして、ステレオで音楽を鳴らしつつ、デッキにはヘッドフォンを挿し込む。
 静寂ではサ行の音が響く。それはティッシュを引き抜くときに発せられる「シュ!」も例外ではない。
 なので、ティッシュを抜きつつ「ゲッホゲホ!」などと急性気管支炎を装い、あるいは、出もしない乾いた鼻をかんで血を滲ませるのが常だった。母とて女の嗅覚の持ち主なので、丸めたティッシュはごみ箱ではなく、御丁寧にトイレへ流した。
 
 青春がクリスタルに思えるのは、それが丸見えだからだろう。
 
 
 携帯電話が登場してからの青春の苦悩って、どうなったのかしら。
 それを扱った小説を読みたいな。