お仕事考

 
 室温十五度をキープしている、ですこです。ユニクロのフリース万歳。でもフリースって火に弱い。朽ち果てた民家が火矢に弱いことと同じくらい弱い。煙草の焦げ穴だらけだ。師走なんです。最近、働いてる。いや、働かせられている。この文法が正しいのかどうかはわからない。「わからない」には三つの書き方がある。「分からない」「判らない」「解らない」。先の二つは選択のときに使うのだろうか。よくわからない。迷ったときはひらがながいい。ひらがなは、平仮名よりもひらがなで書いた方が、ひらがなっぽくていいと思う。改行が面倒臭い。水野キングダムが面白い。あのアドリブ感がたまらない。やりすぎコージーの次に面白い番組だ。どちらも吉本勢が大半の番組だけど、吉本だから面白いんじゃなくて、出演者が楽しんでるから面白いのだ。なぜ彼らが素人よりも面白いのか。売れない芸人はアルバイトをしているけど、それは仕事じゃない。アルバイトが終わったあとがほんとうの仕事なのだ。これは芸人に限ったことじゃない。好きなことを仕事にしている人は、少数ながらいるだろう。けれど、そういう人は好きな仕事のあとに、ほんとうの仕事を、未だに続けているものだ。たまにこう言う人がいる。「時間と金があればおれだってミュージシャンになれるのに!」と。若い人に多い。しかも頭が悪い人に多い。ほんとうの仕事には時間も金も必要ないのだ。正確にいえば捻出している。「あなたが何者になれるかは、あなたが現在している仕事にかかっている」とは、ロリコン詩人ゲーテの言葉だ。これは「あなたにとって本当の仕事はなんですか?」という問いに違いない。以前に、友人のD輔の親父さんに逢ったとき、感銘を受けた言葉があった。彼は昔、バリバリの左翼活動家で、当然拘置の経験もある。外山恒一は革命家の性質について「お祭りが終わっても興奮冷めやらない状態」と比喩していたが、D輔の親父も未だ沸騰していて真顔でこう言うのだ――「革命が必要だ!」と。親父は小さな建築会社を経営していて、そんな調子で従業員に接するものだからみんな逃げてしまい、ついにはひとりぽっちになってしまう。でも仕事はある。神社を建てる仕事で、それをひとりで建てた。「ひとりでどうやって建てたんですか?」という問いに、「ばかやろう。一日、二十四時間もあるじゃねえか」だって。で、そのとき丁度D輔の結婚式だったんだ。ぼくは教会の壇上に上がって、ジーンズ姿の証人となり、大いに恥をかいた。ついに親父は来なかった。そのあと、親父以外の親族全員で正装のまま神社へ赴いたんだって。親父はドロッドロの作業服のまま「ばかやろう! 仕事中だぞ!」と追い返して、おめでとうの一言もなかったとか。ちなみに結婚届の保証人の欄は、ぼくの印鑑で押してやった。で、なんの話だっけ。そうそう仕事の話ね。やっぱり、ほんとうの仕事をしなければならないと思うんだけど、「じゃあおまえにとってほんとうの仕事はなんだ?」と訊かれたら、「わかりません」と答えるしかない。でもひとつ言えることは、ほんとうの仕事はあまり金にならないということ。仮にほんとうの仕事が金になったとしても、また別のほんとうの仕事を探すだろう。お金は大好きさ。欲しくてたまらない。腕時計が欲しいね。安くて格好いいのって、あまり無いんだよ。ハミルトンが相応かな。フロッグマンがいいね。ちょっと高いけど。ギターも欲しいなぁ。335のブランコテイルピースっきゃ眼中にないけど。コイルタップが付いてるのがいいな。ああ、345でもいいか。色はサンバースト以外で。学校から帰って来て、玄関のドアを開けてカバンだけを放り込んで、解放された状態で公園へとひた走る感覚を未だに持ってるぼくは、おかしいのだろうか。そろそろ腹を括るべきなのだろうか。笑わせるな。そんなのなら、首を吊ったほうがましだ。さて、水野キングダム観なきゃ。