だんだん腹がたってきたぞ!

 
 改行シラズ、ですこです。行間を読め!(ないけど)
 
 最近、寒い。路面が凍結している。ぼくの車のスタッドレスは七年目なので(たぶん)、効きが弱いような気がして、ちょっと怖い。「スタッドレスは硬化すると効き目がなくなるので、寿命は五年が上限」という話をよく聞くが、考えてみれば、新発売のスタッドレスタイヤが1シーズンで完売できるとは考えにくく、売れ残りを廃棄することなどはもっと考えにくい。肉まんみたいに湯気でも出ていれば「ああ、出来たてなんだな」と判るけど、タイヤは出来たてがわからない。え? 製造年月日が明記されてるぅ? ばか言ってんじゃないよ。胃袋に入る食べ物だって偽装する昨今、地球とキス止まりのタイヤが偽装されてないわけがないじゃないか。そう考えると「あー、今年は五年目だし買い換えだなぁ」というタイヤは、じつは六年目だったりする。なんなら七年目かもしれない。つまり、気分、プラシーボなのだ。そんな風に自分で納得して、今年も買い換えない。だって高いんだもの。四本で六万円くらいかな。いいの、4WDだから。どんなに良い靴を履いた人間よりも、四足歩行の老犬の方が安定するの。そういえば、神奈川の兄から聞いたんだけど、冬のレジャーで長野県に行ったときに、みんなスタッドレスを履いているにもかかわらずチェーンを巻くらしい。それも凍結路面じゃなくて、圧雪で。せっかく工夫を凝らした深い溝が雪面に触れていないんだよ。意味ねーだろ。そういえば沖縄はドリフト天国らしい。日光がきついから、溶けないようにアスファルトが硬いんだって。あったまイイー! あとね、地下鉄って駅の周辺が盛り上がってるんだよ。なんつーか、心電図みたいに。尺取り虫が縮んだ状態の背中みたいになってる。発車のときは下りで勢いをつけて、停車のときは登りで慣性を殺すんだね。あったまイイー! 英知の立脚地って、いつの世も単純だよなぁ。そんだけ頭がいいのに、どうしてスパイクに代わるタイヤを発明できないんだろうね。要は「氷よりも硬くてアスファルトよりも軟らかいもの」を創ればいいだけじゃないか。だから、沖縄を見習って「スパイクよりも硬いアスファルトを敷けばいい」じゃないか。関東以南の人たちに、凍結路面を走ることのストレスをいくら説明しても解ってもらえないだろう。ぼくはそれほど車に乗らないからまだいいけど、運送業の人たちのストレスは相当なものだろうと察する。おい、タイヤメーカー諸君、もう夏タイヤの開発はいいって。冬タイヤの開発に心血を注いでくれ!――と言っても馬耳東風なんだろう。なぜなら、開発費に見合った売り上げを得られないからだ。つまり、日本の四季において冬は四分の一以下であり、人口もまた然りである。だがこの情況は、弱小メーカーにとっては好機でもある。或るシューズメーカーの営業マン二人が、未開の地へ飛ばされた。ひとりは「だめです。この国は誰も靴を履いていません」と、落胆しきって報告した。もうひとりは「売れます! この国は誰も靴を持っていません!」と驚喜した。この差はなんなのか。視点を替えれば、宗教にも当てはまるだろう――「よし、ザビエル! 行ってこい!」と。長崎で散弾銃の乱射事件があった。ニュースで「犯人は教会で自殺した」と聞いて、耳を奪われた。日本で最もキリストが根付いている長崎は、神に召されるべく、自殺の名所でもあると聞く。だが、キリスト国家であるアメリカが、なぜ二発目の原爆を、その敬虔な土地へ投下したのか。我が日本は「被爆処女」のみならず、立て続けに犯された。なぜ、ゴム底で仏教を踏み潰さなかったのか。なぜ、我々の文化を寸止めで守ったのか。それは、奴隷を解放して、奴隷にも消費させた方がいいだろう、とかつて学んだからに違いない。敗戦国は所詮、奴隷である。我々の消費生活は、お互いの鎖を自慢しあっているに過ぎない。人間が人間として解放されるのはいつだろうか。これは重要だ。こういう風に書くと「政治と宗教の話題はタブーだ!」なんて言う輩がいるけど、よく考えてみろよ。グローバルな諸君! ワールドワイドな諸君よ! ボーダーレスな諸君よ! 日本ほど、民と政治が離れてる国はないんだよ。そのくせ宗教が参政してるんだから、まったくどうしようもない国だ! そんなことより、長崎ちゃんぽんを喰ってみたい。リンガーハットのは喰ったことがあるけど、本場の味を知りたい。ガイドブックに載ってたあの店に行きたい。でも地元の人は「あんな店はだめだ」というだろう。だが、ぼくはそれを喰いたい。「ギブミー・チャンポン!」、知らないほうがいいことを、知りたいだけなんだ。