メリー・クリスマス

 
 年末っていいな、ですこです。
 
 クリスマスなんです。クリスマスがなにをする日なのか、正確にはわかりません(イヴにコーマンをするのは知っています)。なぜならぼくは元仏教徒だからです。「元」というのは、親はなにかしら信仰している様子ですが(つまりさほど熱心ではない)、大人になって自ら選び取らなかったという意味で、ぼくは無宗教です。けれど、無神論者ではありません。「神を否定することは、すべての比喩を否定することだ」と言った寺山修司に共感を覚えています。これ、至言ですよ。
 たまに想うんですよね。
 神様が遠い日本では道端に人が寝ているけど、神様が近い国の道端では死体が転がってるんじゃないか、って。まあでも、各々がスペシャルを愛せばいいと思いますよ。但し、折伏はやめてくれ。大人が大人に説教するなどという傲慢は、いますぐにやめるべきです。
 
 クリスマスといえば、こんなCDがあるんです。
 

 
 1988年にP-VINEから発売された物で、国内のブルースマニアがクリスマスソングを発掘・編集したコンピです。クリスマスソングと言っても、曲名や歌詞がクリスマスというだけで、中身は戦前ブルースを含んだゴテゴテのブルースだらけです。テキストで書くのが面倒なので、裏ジャケを接写しておきます。
 

 
 出色なのは「WIDEMOUTH BROWN」の曲で(ジョン・レノンみたい!)、彼はClarence"Gatemouth"Brownの兄弟です(兄なのか弟なのかは不明)。他は、「Mr.BO」のギターがいいね。彼はB.B KINGのフォロワーです。ラストはぼくが大好きな「Lonnie Johnson」だ。AFBFで日本のお祭りみたいな手拍子を叩いていた、あの気の良さそうな小さいおっさんだ。侮るなかれ、彼は偉大なブルースマンである。ロバート・ジョンソンにギターを教えたのも、彼である。ロバジョンは若くして死んでしまったが、ロニーはその後エレキにまで進出し、モダンブルースの開祖となった。世間一般では、モダンの父はT-BONEだが、祖父はロニー・ジョンソンである。アコースティックギターを極めたにもかかわらず、時代の潮流に乗ってエレキに持ち替えたのだ。つまり、常にクリエイティブだった。
 タカ派のクリエイティブなブルースマンといえば、ゲイトマウスやワトソン先生が挙げられるが、それよりもうんと昔からロニー・ジョンソンは非常にクリエイティブだった。彼は、所謂ブルースマンではない。無意味なカテゴライズを鼻で嗤う、真の音楽家だ。
 ぼくが最も尊敬するミュージシャンの一人です。
 
 
「ウチは仏教だからね!」という、ていのいい台詞によって、ぼくの枕元にプレゼントが置かれた記憶はほとんど無い。
 あれはいつだったか、確か小学高学年の頃だと思う。
 市内に住んでいる歳の近い親戚を呼んで、ウチでクリスマスパーティーをやることになった。その親戚は、ぼくよりも一つ年下の男と、年子の弟、ぼくも併せて計三人だった。
 母が振る舞った料理を腹一杯食べて、ぼくの部屋で雑魚寝をする。クリスマスで冬休みということもあって、興奮して眠ることができない。
 隣は兄の部屋で、そこは聖域とされており、無許可で入ることは許されなかった。それが二親等となれば尚更だ。だがクリスマス、兄は不在で、おそらく今夜は帰って来ないだろう。
 年長のぼくは、豆電球の下、目で合図した――「行くか!?」
 彼らは掛け布団から血眼を覗かせて「行きたい!」と無言で応えた。
 母が寝静まるまでサナギになる。鼓動がやけに大きい。
 掛け布団を背中にのせたまま、四つん這いで進む。いざとなればそのまま寝たふりを決め込んで、「寝相の悪い子供」を演じればいい。実際、我が親族は漏れなく寝相が悪かった。
 ぴったりと閉まっている兄の部屋の襖に、人差し指をねじ込む。爪が入ったあと、第一関節を使ったテコの原理でゆっくりと滑らせる。指が入るくらいに開けば、あとは重力に気を遣いながら細心の注意を払えばいい。
 母の鼾が聞こえた。
 ぼくは四つん這いのまま振り返った。背後では親戚が笑いを堪えている。その鼻息が尻にかかって、ムズ痒い。
 進入に成功したあと、今度は閉めなければならない。これからがパーティーの本番である。音が洩れちゃまずい。
 襖は開けるよりも、閉めるほうが簡単だ。取っ手の方を少し持ち上げて、ゆっくりと閉めればいい。「閉め役」は最後尾の若造で、彼は嬉しさと緊張のあまり震えていてカタカタと音が鳴った。「やばいやばい、母ちゃん起きちゃうぞ!」と思えば思うほど笑いが込み上げてきて、台無しの爆笑をしてしまった。
 それでも母は咎めなかった。そう、今夜はクリスマス。
 ぼくたちは照明の紐を、くす玉よろしく、三人一緒に引っ張った。
 兄の部屋を初めて見た親戚たちは、驚きと恍惚の表情だった。
 兄は、不良のくせにディズニーが大好きだったのだ。
 精巧に塗装された車のプラモデル群、アナーキー横浜銀蠅のレコードたち、当時はドナルドダック(現・ビックリドンキー)だった店からパクってきたアイテムの数々――彼ら幼い親戚たちにとっては、衝撃だったろう。
 とにかくド派手な部屋で、壁面のほとんどはタバコの空き箱で埋まっていた(ダセェ!)。すると、若造が「これなあに?」と言った。タバコの空き箱の隙間に、ディズニーの飴が所狭しと飾られていた。御丁寧に長靴の形をしていて、中身は入っているようだった。
「ねえ、ですくん……」若造は物欲しそうな上目遣いで見つめてくる。
 母の料理に文句はない。ただ、甘い物が足りなかった。これは我々全員が潜在的に一致している、ほとんど本能的なものだった。
 年長者としては、こう言うしか術はない――「今夜はクリスマスだ!」
 ぼくたちは、白アリのように、兄のコレクションを貪り喰った。で、そのまま眠った。
 翌朝、親戚たちを見送った。彼らは満面の笑みだった。ぼくは後始末が憂鬱だった。
 犬みたいに鋭敏なぼくは、兄が帰宅する足音を聞きつけて、怯えた。そして案の定、兄の怒号が聞こえた。
「おいこら! 誰だアメ喰ったやつ!」
 すかさず母の助け船が入る。それも、空気を読めてない、きつめのやつ。
「文句あるなら出て行け!」
 沈黙した兄は、ぼくの方へ歩み寄ってきた。殴られたことはないが、逆エビ固めのお仕置きが怖かった。
「おーい! ママー!」ぼくの頭上を通り越して兄が言った。
「あの飴、三年前のだぞー!」
 そういえば、ちょっとお腹が痛い。
 母は、急いで親戚の家に電話を掛けている。
 ぼくは便器に座りながら、順番を待っている若造がトイレのドアを叩いている図を想像して、笑いを堪えた。
 
 そんな、メリー・クリスマス。