おれの知ったこっちゃない

 
 Bitter Sweet Symphony 、ですこです。
 
 Googleから葉書が届く。英語で住所を書くのは初めてだったのでよく届いたなと思う。局員が書いたと思われる幾つかのメモ書きがそれを表している。内容は個人識別番号なる数字が書かれておりAdsenseの支払いに必要らしいが、支払われるまでにはまだしばらくかかるだろう。特にコンテンツがあるわけでもなく、有意義な情報を載せているわけでもないので別段儲ける気はないのだが、有料オプションと相殺するべくAdsenceを載せるようになった(カウンターが有料なのだ)。いま現在はペイできているし、少しおつりがくる程度で、具体的には毎月ラーメンを食べられる程度の金額だ。これが携帯電話にも表示されるようになればおそらくチャーシューメンにグレードアップができて、訪問者が漏れなくクリックしてくれればとんかつ(すみだ川)に昇格するであろう。それにしてもエアメイルが届くだなんてぼくも国際派だなぁ。
 人が集まるところに広告を載せればそれなりにお金になると思うんだけど、人を集めるためにはどうしたらいいのかを考えなければならない。一番お手軽なのはやはりエロで、載せている動画はほとんど転載によるものなので、根気さえあれば誰でもそこそこ稼げるだろう。しかし誰でもできるということはライバルが多いことを示しているので烏合から抜きん出るためにはそれなりの投資や労力も必要だろう。それが自力のコンテンツじゃないなら尚更で広告を載せるための広告を載せて貰うという堂々巡りに行き着く。つまり誰かがなにかを創らないと誰も利益を得ることができない。エロ動画でいえば誰かがカメラの前でセックスをしなければならない。
 他人のセックスが値崩れを起こし始めたのはおそらく80年代後半で、それまでエロビデオは1本約15,000円と非常に高価だった反面、性のパワーによってデッキとレンタルビデオが普及し、その勢いはベータ規格を駆逐した。皮肉なことに当時のエロビデオは大きなモザイクの恩恵を受けて疑似本番も多く、ゴムフェラなんかは当たり前だった。いまはすっかり目が肥えてしまっているのでそういった手法は通用しないし、創造者の肉体・精神的には負担が増えているのにもかかわらず性は安くなっている。三種の神器から始まった余暇の増大は我々になにをもたらしたのか。少なくとも創造の時間よりも消費の時間が増えただろう。質が悪いのはそれが疑似消費であることで、それはいずれ疑似創造をもたらすだろう。こうなるといくらテレビの画像が綺麗になったところで肝心のソフトがなければまったく意味をなさないということだ。マッキントッシュの管球アンプにJBLの組み合わせて『大事MANブラザーズバンド』を聴いているようなものだ。古今東西ぼくがもっとも嫌悪しているバンドで、彼らが売れた瞬間「日本は終わった!」と心底思ったし、いまもそう思ってる。
 ネットで見られる素人のオリジナルコンテンツでわかりやすく手軽なのは動画だが、それは画質の良し悪しに依存しない。中でも、ショッキングな動画はとても説得力があるし、いわゆる「追跡!警察24時!」なる番組などはハナクソに等しい。英語が読めないぼくでも国名くらいはわかる。東欧と南米における警察権力の横暴は半端じゃない。国家権力の荒みは末端まで行き届いていることを示しているので、民衆の荒れ方も凄まじい。死刑反対国家には大いなる矛盾があって、それは「犯罪者を簡単に銃殺すること」にある。ぼくには彼ら死刑反対論者が「なんで未然に撃ち殺さなかったんだ!」としか聞こえない。それとてデジタルビデオを買える国が動画をアップロードできる国の話であって、それがない国ではいったいどんな暴力が渦巻いているんだろうか。カカオの実を採っているアフリカの子供はそれが何になるのかを知らない。生まれつきの奴隷は世界中でゴロゴロしているのに、チョコレートは甘くて苦い(そして黒い)。
 
 びっふぉ

 
 
 あふたぁ

人間さまもこれくらいリペアできればいいのにネ!