玉手箱じゃないけれど

 
 子宮に向かって敬礼、上島ですこです。
 
 義兄と約10年振りに会った。最後に会ったのはぼくが東京を放浪している頃で、金に困って這々の体で千葉まで行き、アルバイトをさせてもらったんだった。単なる雑用で日当1万5千円という破格の金額で1週間ほど働いて、その金を握り締めて青春18きっぷで北海道まで帰還した。
 姉は17歳の時に結婚したので、義兄と初めて会ってからもう27年も経つ。ぼくと一回り離れているので46歳くらいだろう、さすがに老けていた。もちろん「ですこも老けたなぁ」と言われたさ。
 17歳で結婚したということは、お察しの通り姉は不良だった。それもドの付く不良で、高校は一週間で退学になっている(それも私立で!)。兄は姉よりも2つ年下だが、これまた描いた絵からはみ出したようなド不良で、ですこ家は地元では有名だった。
 尾崎豊は「盗んだバイクで走り出すぅ♪」と唄ったが、兄の場合は「盗んだ車に火をつけてキャンプファイヤー♪」だった。事件は新聞にも載ったが、幸い未成年だったので実名は載らなかった(少年法万歳!)。
 家庭がいちばん荒れていた頃、ぼくは7歳だった。学校から帰宅すれば眼をトロンとさせた不良どもが溜まっており、トルエンのにおいが家中に充満していた。すでに慣れっこだったので、ラリった不良たちはぼくにとって恰好の遊び相手だった。知覚がちょうど7歳くらいのレベルまで落ちるのだ。
 当然、周りの住人は警察に通報し、近所の交番からお巡りさんがやって来る。これがまた牧歌的で、ちんたらと自転車でやって来るのだ(金八先生の彼みたいに!)。
 チャイムが鳴って応対するのはぼくの役目だ。
「警察でーす」
 いつもの声がする。名前は森さんといって、交番じゃ一番偉い人だ。
 うしろで息を殺している不良たちに目で合図をする。
「なんですかあ?」
「おや、ですくんかい。お巡りさんだよ、開けて〜」
「ちょっと待ってくださーい」
 そうして時間を稼いで、鍵を開ける。
「すごい臭いだねぇ〜」と森さんは溜息をついて帽子脱ぎ、袖で額の汗をぬぐった。「お兄ちゃんは?」
「もういないよ」
「ちょっと上がらせてもらうよ」と森さんは居間へ行った。窓は全開で、レースのカーテンが生き物みたいに風になびいていた。
 ベランダに出た森さんは「また飛び降りたか〜」と言った。「3階なのにねぇ」
 森さんは力尽きた様子で床に胡坐をかいた。給仕慣れしているぼくは、森さんに冷たい麦茶を差し出す。
「帽子、貸して」と言って大きな警察帽を被る。これがとても汗臭いのだ。
「お母さんは?」
「もうすぐ帰ってくるよ」
「そうかい。じゃあ待たせてもらおうかな」
「森さん、ピストル貸して」
「これはダメ」
「じゃあそれ」
 渋々と警棒を貸してくれた。ぼくの格好はまさにがきデカだ。
 警棒をブンブン振り回しながら警官になりきっていると、森さんが言った。
「ですくんは自分の名前を漢字で書けるかい?」
「その漢字はまだ習ってないよ」
「お巡りさんが教えてやろう」
 初めて漢字で書いた自分の名は異様に縦長だったが、なんだか誇らしかった。自分の名前は大嫌いだったが、漢字で書くとなかなか格好いいなと思った。
 しばらく経って、階段を駆け上がる音が聞こえた。ごつい自転車を目撃した母が慌てているに違いなかった。母と森さんは挨拶を交わし、その横ではがきデカが警棒をブンブン振り回している。帰り際の森さんに、こうも言う――「また来てね!」と。
 
 そんな家庭と縁を結んだ義兄は、さぞかし思い悩んだことだろう。ド不良の嫁に、ド不良の弟が付いてくるのだ。ぼくなんかはマスコットに等しい。
 義兄は浦河の出身で、8人兄弟の末っ子だった。だからだろうか、ぼくは異様に溺愛されて、ぶっちゃけ金に困ったことはなかった(小学生のガキにいつも五千円を寄越すんである)。無論、金だけではない。途轍もなくシャイでピュアな、不器用な男なのだ。
 だがしかし、義兄も人の子、いかがわしい趣味もあった。それは成人男性ならば誰もが興味を示す、エロビデオだった。だがぼくは、義兄の家でエロビデオを発見して少しショックを受けた。「嗚呼、この人は仏様じゃないんだな」と。
 ぼくが中学生になった頃、近所に小さなレンタルビデオ店があった。当時は義兄も近所に住んでいて、同じお店で借りていた。すると小狡そうな店長がぼくに耳打ちするのだ。
「新作入ったって伝えておいてバチン!(ウインク」
 お陰様でぼくは顔パスで、学ランのままエロビデオを借りることができたのだった。
 中学生の頃は家で煙草は吸えなかったので、よく義兄の家へ泊まりに行った。すでにほとんど家族状態で、一緒に晩酌だってしていた。特筆すべきことは、義兄はもの凄いマンガ好きで、棚には数万冊の単行本が揃っていた。それもほとんどが劇画系で、たとえば『オスカー』『マッドブル34』『フリーマン』等々、もちろん本宮ひろ志池上遼一はコンプリートされていた。いちばん漫画を読みたい時期なので、すべて読破した。当時、漫画喫茶はほとんど普及していなかったので、義兄の家は最高の漫喫だった。ちなみに義兄が北海道を発つとき、漫画本の処分を適当な業者に依頼して受け取った金額は50万円だったらしい。ブクオフじゃないぜ? 
 
 義兄との想い出は数あれど、いちばん憶えているのは或る喫茶店だ。
 場所はまったく思い出せないのだが、そこのパフェが面白かった。
 小洒落た二重のグラスの隙間にドライアイスが入っていて、煙がモクモク上がるという演出だった。幼かったぼくはそれが楽しくて仕方がなかったので、よく連れて行ってもらった。
 10年振りに会った義兄は、すっかり白髪が増えてしまっていた(でもフサフサだ)。歳のせいなのか体質なのか、それともド不良の嫁を抱えた心労なのか。
 ごま塩頭の義兄を見て、すぐさまあの喫茶店を想い出した。