囚人と奴隷

 
 花輪和一さんの『刑務所の中』を読み耽る。面白いというか、不思議な漫画だった。
 
 続いて、地域密着型のハードボイルド作家である東直己さんの『札幌刑務所4泊5日』も読み耽る。
 交通違反罰則金を払わずに、なんとかして刑務所に入ろうとする努力が涙ぐましい。それでいて、やっと入所できる段になって急に恐怖に襲われたときの心理描写が、生々しくて面白い。服役年数の長短にかかわらず、社会から隔離される瞬間のえもいわれぬ恐怖心がよくわかる。だがいかんせん、4泊5日を一冊の本にまとめるとなると中弛みが目立つ。
 ぼくが今まで読んだ中で最高の“刑務所本”は、見沢知廉さんの『囚人狂時代』で、これを読んじゃうと安部譲二さんの小説に出てくる囚人たちが優等生に見えてくる。
 あとは正木亮さんが書いた『志願囚――死刑廃止論者の手記』を読めば、脳内ストックはコンプリートできるんだけど、これが絶版で、古書があったとしても高価なのでなかなか機会がない。
 
 じつは友人に、所謂交通刑務所の服役経験者がいて、デリカシーのないぼくは彼に色々と尋ねたんだけど、お茶を濁して答えてくれない。考えてみれば、本人は思い出したくない過去なんだろう。でも不思議なことに、拘置所でのことはすらすら答えてくれるのだ。このことから、拘置所と刑務所では雲泥の差があることが窺えるし、執行猶予がついた人なんかは、安堵のためか、まるでそれを楽しい過去のようにしゃべってくれる。これはたぶん、「オイラは塀の前で止まったぜ!」というヒエラルキーも介在しているだろう。
 
 ぼくが刑務所に惹かれる理由は、たぶん原風景にある。
 北海道の月形町には、刑務所と少年院がある。刑務所にはB級(再犯・累犯、26歳以上男子、刑期8年未満)が収監されており、少年院の方は特に悪い未成年者が送られる。
 月形の兄から、よく手紙が届いた。11歳のぼくでもわかるくらい達筆だった手紙には、簡潔にこう書かれていた。

でっくん、元気かい? 兄ちゃんは元気でやってるよ。頭は坊主にされちゃったけどね。あと、太っちゃった。ママと仲良くね。じゃあね。

 おぼろげながら、少年院がどういうところかはわかっていたが、「太っちゃった」という一文が不可解だった。あとで知ったことだが、“同僚”から食事を奪っていたらしい。
 これ以上なく不自由な兄とは裏腹に、ぼくは自由に身悶えていた。兄の部屋に入り浸って、横浜銀蠅やキャロルやアナーキーのレコードを聴きまくってはうっとりしていた。出入り禁止の部屋だった兄の聖域を侵すことに、ただならぬ快感を覚えた――「ざまあみやがれ!」。これはぼくが犯した最初の冒涜で、コンドームを発見してそれにゼリーが入っていることを知り、ショートホープも覚えるという、最低にして最高の教室だった。
 
 或る真冬の日、母と共に出所する兄を迎えに行った。確か汽車は一両で、車内はがら空きだった。母もぼくも、ひとこともしゃべらなかった。いまがどういう情況なのか、理解していた。子供のくせに空気が読めるというのは、末っ子の悲しい性である。
 
 同じ北海道でも、月形は見たこともないような、圧倒的な白銀の世界だった。我々は田舎の中でさらに隔離されいる施設に向かって歩いており、国の管理が行き届いている一本道は、ほとんど宗教的な匂いがした。
 大きな鉄扉が開いて、というドラマチックなものではなかったように思う。びっくりするくらい太っていた兄は、少し照れくさそうな仕草を見せたが、三人は終始無言だった(もしかしたらぼくの耳が塞がれていたのかもしれない)。
 札幌市内に着いて、兄の要望で『びっくりドンキー』に行った(当時は『ドナルド・ダック』だった)。テーブル席の四人掛けで、向かいに一人座っている兄は、漫画か昔の香港映画みたいに食べ散らしながら、300gのハンバーグをカタキのように貪り食っていた。そして脂ぎった口を拭かぬまますっと席を立ち、店内の入り口付近にある公衆電話にすたすたと歩いていった。数分後、爆音のシャコタンと共に兄は消えていった。
 残された母とぼくは、真っさらな木製の皿を見つめながら、それぞれのドリンクを無音のストローで啜った。
 
「おーい!」
 兄の怒号が居間まで聞こえた。兄はぼくのことを呼び捨てにしない。つまり「おい!」は、ぼくを呼んでいるのだ。
 冒涜の限りをつくしたした部屋はデフォルトに戻しておいたはずだったが、どうやらバレたらしい。おそるおそる部屋に入る。
「いいこと教えちゃるから、よく見ておけ」
 ぼくはその技を見て、多大なる感銘を受けた。
 
 冬休みの終わりまで、残すところ数日だった。無策の上に、兄の不在というユートピアもあって、課題学習には何ひとつ手をつけていなかった。
 
 まず、ボールペンのインクをすべて出し切る。
 折り紙の裏に糊を塗る。
 厚紙に描いた下書きに添って、折り紙をボールペンの先で押し付けて、千切る。
 0.5mmのドット絵だ。
 折り紙は表面しか色がないので、千切ると微妙な白が出てきて、それが“味”となる。ドットを詰めればその色だけを表すし、微妙な隙間を作ることでグラデーションを作ることができた。
 
 矯正施設のこんな業を、課題学習で提出するやつは誰もいない。クラスメイトは「スゲー!」と感心し、担任は満足そうにまじまじと見つめていた。で、ぼくはやっぱり「ざまあみやがれ!」と心の裡で叫んでいた。
 
 それから数ヶ月後、兄は本格的(合法的)に家を出て行った。やっと自分の部屋を持てることに、ぼくは興奮していた。非情なことに、まったく淋しくなかった。
「おい」
 兄の声は優しかった。
 おそるおそる部屋に入ると、エレキギターとアンプがあった。おねだりこそしないものの、ぼくが異常なまでにギターを欲しがっていたことを、兄は知っていたようだ(それは後輩から強奪したものだった)。
 
 それから数年間、ぼくはギターの奴隷になったのさ(キャー、カッコイイー!)。