ほんの少しでいいんです

 
 今日も帰宅は深夜、腸も活性化されているのかうんこがbrbr出やがったので、fkfkしてやると、血がdbdb出てきやがりましたので、いっそnpknを挟みたい気分です。
 npknといえば、こんな小咄があります――

 死後、なぜか天国に辿り着いたドラキュラ伯爵を、神様は直々に出迎えた。じつは周知の理由により天国への入国を思いとどまらせるべく、次の提案をした。
「汝を地上に戻してやってもよいぞ。但し、人間以外という条件付きだ。さて、何になりたいかね?」
「羽があって血液を吸う生き物ならなんでも」
「その願い叶えて進ぜよう!」と、神様が言い終わらないうちに、ドラキュラはコウモリとなって地上に舞い戻り、夜ごと生き物の血を吸い、空を飛び回って生を謳歌していたのだが、ある日の少年が放ったパチンコが命中してしまい、再び昇天。またもや天国の門前で神様がおっしゃった。
「汝を地上に戻してやってもよいぞ。但し、人間とコウモリ以外という条件付きだ。さて、何になりたいかね?」
「羽があって血液を吸う生き物ならなんでも」
「その願い叶えて進ぜよう!」と、神様が言い終わらないうちに、コウモリは蚊となって地上に舞い戻り、夜ごと生き物の血を吸い、空を飛び回って生を謳歌していたのだが、ある日の女の頬に止まったのが運の尽き、ピシャリと叩き潰されて三度天国の入り口に立つことになった。
「これが最後になるが、汝を地上に戻してやってもよいぞ。但し、人間とコウモリと蚊以外という条件付きだ。さて、何になりたいかね?」
「羽があって血液を吸う物ならなんでも」
「その願い叶えて進ぜよう!」と、神様が言い終わらないうちに、蚊はナプキンとなった。

 この噺を誰が作ったのかはわかりませんが、じつに良くできているし、小咄の良さはその匿名性にあると思います。『使えるジョーク百選』なんかはほとんど使えませんが、中には優れたものもあるはずで、でもそれを誰が作ったのかわからないところが魅力です。
 この面白さは2ちゃんねるも同じで、なぜハマってしまうのかといえば、ふらりと書き込まれた匿名による才能の無駄遣いが、あれだけ巨大化した所以でしょう。そう考えますと、著作権というのは非常にケチなシステムと言えましょう。この潔さは「フッ、名乗るほどの者じゃねえサ」という捨て台詞と同値であり、ある意味日本人の美徳とも言えます。つまり匿名掲示板というのは、非常に日本的であるとの見方もできますし、コテハンの違和感はそこにあると思います。コテハンにトリップを付けたところで身元を明らかにしているわけじゃありませんし、むしろ身元を明らかにしてしまうことでポエジーが消滅してしまうという側面もあるはずです。
 詩人とは名乗るものではなく、名付け得ぬものに対して真実のレモン汁を振りかける人を指し、言葉が空気に触れたとたん嘘になってしまうように、詩人もまた名乗ってしまうと真実が逃げていってしまうように思えます。
 匿名の大半は澱んだ悪ですが、真実はレモン汁程度でちょうどいいんです。