おれの知ったこっちゃねえ

 
 先日、疲労のせいか、またもや入れ子状の夢を視る。電話が鳴ったので、起きようとしてもまったく体が動かないのだ。目を瞑りながら「これが金縛りってやつか」と不安を覚えたが、段々と、動かないことが気持ちよくなってくる。体は固まったままなのに頭の中では精一杯身をくねらせている、というギャップが快感だった。もしやこれが緊縛の快感なのだろうか。
 ちなみに『SM』という言葉の本来の語源は、サドマゾではなく「サスペンス・アンド・ミステリー」なんです。名付け親であり、日本で初めてSMショーをやったのは、戦後間もないカストリ雑誌奇譚クラブ』の編集者だった須磨利之さんで、場所は飛田遊郭です。なぜ須磨さんがそんなことをしようと思ったのかは、下川耿史さんの著作に詳しい。これがまた激烈に面白いんです。
 

極楽商売―聞き書き戦後性相史

極楽商売―聞き書き戦後性相史

 
 意を決して目を開けてみると、あっけなく体が動いたので拍子抜けしてしまった。携帯を手に取って着信履歴を見ると、旧友のO嶋からだった。疎遠だった友人からの電話というのは、不吉なものだ。怪しげな勧誘こそないものの、誰彼かの死の報せじゃないかと勘ぐってしまう。喪服を買うべく、紳士服の青山の位置を頭の中で巡らせ、同時に口座の残金にも軌道をいざない、靴はクラークスのミンスターバスで事足りるだろうと結論する。もしくはドクターマーチン。いや待てよ、もしかしたら葬式に出向くほどの人物じゃないかもしれない。そうなると、ちょっと得した気分になる。いや、人の死は損得で語るものじゃない。まったくの赤の他人が死んだ場合、誰かが損得をするのだろうか。人が地上に産まれ落ちた時、地球はその重みに泣くというが、人が死んだ場合、地球はその身軽さを喜ぶのだろうか。というか、地球に感情なんかあるのかよぅ!
 
 かけ直してみると、単に呑みの誘いだった。
 O嶋とは高校の3年間、同じクラスだった。ウルトラ三流の公立校である。市立ではなく、道立だ。
 入学当時、O嶋は生え際に金色のメッシュを入れていた。それはとてもミスマッチで、大人しいやつが粋がっているように見えたし、なによりセンスがなかった。彼の顔面は異様な下膨れで、あだ名は「ムーミン」だった。要するに不細工だった。
 行事でマラソン大会があったとき、ぼくはO嶋に耳打ちをして「抜け出そうぜ」と囁いた。O嶋は「えぇっ!」と驚いたが、構わずジャージ姿のまま首根っこを掴んで家へ行き、煙草をバクバク吸いまくった。
 O嶋の親父は小学校の教師で、母親もお堅い人だったが、煙草は吸い放題だった。
 O嶋家はじつに教育が行き届いていて、彼は小学生の頃から高校卒業まで新聞配達をしていた。家が貧乏なわけではなく、幼い頃から労働の精神を叩き込まれていた。
 だからO嶋は金を持っていた。新車のスクーターを所有していた。
 煙草を揉み消して「そろそろ行こうか」と言うと、「もう間に合わないよ」と言うので、「スクーターで2ケツしてけば間に合う」と言うと、「免許禁止なのバレるっしょ」と言うので、仕方なくヘルメット代わりにミッキーマウスのお面を被ってO嶋の肩に掴まり、国道274号線をひた走った。
 そんな風にO嶋と過ごしていたが、バンドで忙しかったのでO嶋とは徐々に疎遠になっていった。そのくせ、「スクーター貸せ」とか言うぼくは、ジャイアンだった。
 
 卒業してから数年後、酔っぱらった思いつきで、O嶋の家の塀をよじ登り、2階にあるやつの部屋の窓をガンガンぶっ叩いた。O嶋は、シャワーを浴びてる鳩が豆鉄砲を喰らったような、というか、強盗に襲われたかのような顔をしていた。当然だ。
 そして懐かしみ、そのあとすぐに携帯電話が普及を始める。ぼくに携帯を勧めたのはO嶋で、ご丁寧にパンフレットまで持ってきた。
 高校時代とは打って変わって、O嶋は弾けていた。やたらと呑みに誘われたが、なんか顔も違う。それは変な感じじゃなくて、まさしく弾けた顔、弾顔(DANG-GAN)だった。
 呑む場所は、決まって小綺麗なスナックだった。金がなかったぼくは断っていたが、O嶋はいつも奢ってくれた。
 いつか「どこにそんな金あるんだ?」と訊いたら、昔に新聞配達で稼いだ金がそっくりあるのだと言う。さすがに心が痛んだ、というわけじゃなく、お構いなしに誘いに乗った。
 
 よくよく見れば、O嶋のお目当てがわかってくる。タダ酒のお礼ではないが、ぼくも働かなければならない。お目当てのM子さんは、ぼくたちよりも一つ年上で、ムーミンとは釣り合わない美人だった。店が閉まる頃、「これから四人で居酒屋に行きませんか」と誘っておく。
 携帯電話のちからは凄まじい。
 ボッタクリで有名な居酒屋で呑んで、「じゃあO嶋の家に行くかー!」などと声を上げてみる。タクシーに四人乗り込んで、O嶋の家へ向かう。階下では、教師と淑女が眠っている。
 O嶋には兄と姉がいたが、二人とも住んでいない。けれど、部屋はそのまま残されている。すえた匂いがする、古びた一軒家だった。
 O嶋たちがよろしくやりはじめたので、ぼくたちはカビ臭い部屋に移動した。隣の喘ぎ声は聞こえなかったが、布団の擦れる音はした。
 ぼくはといえば、呑みすぎてちんぽが勃たなかった。試みようとしたのかも、記憶にない。現実は、朝起きたら、誰も居なかった。
 
 それから数ヶ月後、O嶋はM子さんと結婚し、いまでは子供を4人(!)もうけている。
 
 この、愛のキューピットに対して「まだ独身なの?」という台詞は、いかがなものかと思う今日このごろですわ。