避行記

 
 恥ずかしながら帰って参りました、横井ですこです。
 
 リュックひとつで電車に乗り込み(汽車ではないぞ! 道産子諸君!)千歳空港へ向かう。
 
 
 意外と人が少ない。
 小腹が空いたので適当な店に入る。
 
 
 ライスの代わりに生ビールを。見た目は旨そうだが、可もなく不可もない味である。
 思うに、空港に入っているお店というのはその場所柄、味よりも早さを求められるだろうし、味よりも体裁が重要なのだ。雰囲気や接客だけが完璧なのは、お会計がお高いからに他ならない。オープンキッチンでは、高いコック帽を被ったシェフが両手でパティの空気を抜いていたが、嘘をつけと思った。もっとも、空港のレストランに味を求めることがナンセンスであることは、帰りの羽田で思い知ることになるのだが。
 機械にカードを入れると、航空券がニョキニョキ出てきて感動する。
 手荷物検査でライターを没収される。一応「じゃあジッポならいいのかい?」と訊いてみると、「ええ。綿に染みこませるタイプは可です」とおっしゃる。
 いいですかみなさん。マーベラスのライターは飛行機で運べませんよ!
 帰りの千歳で受け取る手続きを済ませる。なんだか幸先悪し。
 
 羽田に到着し、携帯が面倒だったので預けたお土産が出てくるのを最前列で覗き込むように待っていても、なかなか吐き出されてこない。すると「○○便のお荷物のお渡しを○番で開始します」とのアナウンスが聞こえるではないか。ぼくはずっと違う便の荷物を睨んでいた。周りにそれを気づかれるのが嫌だったので、時間を掛けて極めてさり気なく移動したが、おそらくはバレバレだっただろう。こっち見んな。
 
 
 夜の羽田は雨だった。雨男の面目躍如たるものだ。
 高速を降りて、延々と続く暗闇の細道を走り、姉夫婦の家に着くと日付が変わっていた。
 
 3日、小雨。明るいときに見ると、やはり田舎である。すぐ隣にはビニールハウスがある。
 三ヶ月ぶりに会った母も元気そうだ。そしてやはり義兄は仏のような人だった。それは昔からだったが、歳を重ねて更に円味を帯びていた。無私の人、Tシャツを着た在野の僧侶である。後光が差す日も近い。
 昼前、総出でアリオへ買い物に行く。姉も義兄も「どうだい? 大きなデパートだろう?」という顔をしていたので、札幌にもアリオがあることは知らんぷりして「大きいなぁ」という顔をしておく。
 偶然にもS氏の職場の系列店を発見したので、店員さんに「Sさんはここで働いていますか?」と尋ねると、稲毛店にいるという。
 混雑しているデパートを徘徊していると、やはり周りの人たちの雰囲気が札幌とは違うことに気づく。それは説明し難く、これはまったくの独断だが、白昼おこなわれる無差別通り魔事件が起きてもおかしくない雰囲気だ。その瞬間を映画にするのならば、スローモーションのシーンで、BGMはクラシックが似合うだろう。
 どの通り魔も言わないだろうが、湿気がそれを手伝っていると思われる――こんな考えが浮かんだのは、冷や汗でもいいから涼しくなりたかったからなのかも知れない。
 家族連れがひしめき合う食堂でぶっかけうどんを食べる。ちくわの天ぷらがやけに旨かった。
 夕食は鍋で、姉から大根おろし係を命じられた義兄の顔が一瞬だけ曇った。本来ならば「ぼくがやります」と挙手するべきだが、棚の上にミキサーを発見したので、「あれでやりましょう」と言ってみる。やったこともないくせに。
 出来上がった大根おろしはかなりクリーミーだったが、文句を言う者は誰もいない。
 前日は旅の疲れで気づかなかったが、深夜布団に入っているとハムスターたちが途轍もなくうるさいことに気づいてしまう。総勢12匹、ケージは3個、これらが一斉に大運動会を始めるのだ。ど田舎の深夜に回し車がフル稼働すれば、それはもはや乾燥機なみの音量である。しかも夜中の関東は、地熱のせいだろうか、ものすごく暑い。
 電気を点けて起きあがり、運動会を見つめてみる。電話の横からボールペンを取り出して、勢いよく回っている車にブレーキを掛けてみると、ハムスターは9時の位置から尻餅をついて後転した。フハハハハ! 怯えろ! ギャラリーともども!
 満足して床につくと、すぐに大運動会は再開された。ぼくとハムスター以外は、全員寝息をたてている。空が白んできた寝入りばな、ハムスターを電子レンジに投入する悪夢を視つつ、口元を歪める。スハハハハ!
 
《チーン!》
 4日、夢の中の鈴鳴りで目を覚ますと、他の人たちはすでに朝食を終えていた。まったりしているところに水を差すのもなんなので、こっそりと勝手に朝食を作る。オーブンでパンを焼きながら、小さなフライパンに玉子を落として、端にウインナーを乗せて加熱する。
 蓋は見当たらないが、それでいい。パンが焼き上がったオーブンに、そのままフライパンを突っ込めばいい。数分後には、綺麗な形の半熟目玉焼きが出来上がる。ウインナーも完璧にグリルされている。
 玉子の蒸し焼きは、じつはあまり美味しくないし、形も汚い。ちっこいフライパンと粗末なオーブンで作った目玉焼きが一番おいしい。みなさんも試してみてね。玉子で感動できるから。
 うたた寝をしていると、兄一家がやってきて、3人の子供たちが田舎のしじまを無邪気に切り裂く。
 イナゴの大群よろしく、お土産は一瞬にして食い尽くされ、腹を撫でることもせず、外へ飛び出して行った。
 すべての子供は遊びの天才だ。
 天才たちが創りだした遊びは、義兄お手製のスロープを、スケボーに座って走破するというものだった。急カーブがあるのだ。
 外では黄色い声が聞こえる。しばらく経っても「惜しい!」とか「もうちょっと!」としか聞こえないので、叔父の威厳を示すべく立ちあがる。気分は古参の代打である――「やっとオイラの出番かい? なあにベンチはすぐに冷えるさ。オイラの満塁打でみんな立ちあがるからね」
 2度目のトライで走破して、叔父の威厳は保ったものの、両手小指と右肘に損傷を負った。こんなに爽やかな怪我をしたのは何年振りだろうか。傷を隠すために血もチューチュー吸っておく。血を出すための包丁と同じ鉄の味がした。
 
 5日、佐倉まで送ってもらう。後部座席の車窓越しに号泣する母を見て、笑ってしまう。なにもかもが悲しく、毎日が灰色なのだ。もうちょっと待っててね。薔薇色にはならんけど。
 総武線(だったかな?)に乗り込み、一度行ってみたかった秋葉原を目指す。快速に乗ったので、錦糸町で降りて各駅に乗り換えるべきか、それとも上野まで行って山手線に乗るべきか迷っていると、千葉を過ぎた辺りでオタクっぽい集団がいたので、彼らに着いて行き、錦糸町で降りてみる。
 
 秋葉原はとても混雑していて、まず匂いが違った。
 駅を降りると、ハードオフのジャンクコーナーと同じにおいが鼻をさした。それは紛れもない“汗のない男のにおい”だった。
 

 はだけた女性を撮っているひとたちを撮りたかったのだが、運悪く先日三十路のクイーンが逮捕されてしまったので、歩行者天国もいまいち盛り上がっていない。
 手荷物を最小限に抑えている身としては、電気街に興味もなく、とにかく煙草を吸いたかった。「どっかに灰皿あるだろう」と歩いてみても、どこにもないし、喫茶店はメイドだらけな上に、行列ができている。
 小雨が降っていて、カメラは取り出せない。雨男の面目躍如たるものだ。
 山下清よろしく線路沿をしばらく歩いていると、やたらと賑わっている小路を見つけた。ものすごい人だかりだったので、なにかのお祭りかと思いしばらく歩いていると、そこがアメ横であることに気づいて、すぐに離脱する。
 上野から山手線に乗って新宿に着いたのは、午後6時過ぎだった。待ち合わせは午後7時だったので徘徊していると、信号の下に『歌舞伎町』という看板があった。ここならば歩き煙草を吸っても咎められないだろう、と進んでも途轍もない人集りで、呼吸すら難しい。
 人混みを抜けると『立ち呑』の文字を見つけて、頭から滑り込む。一人であることの説明と、一位でゴールしたマラソン選手を兼ねた人差し指を立てながらテーブルに向かうと、「そっちじゃない、こっち」と店員がそっけなく言うではないか。それは中国訛りで、ぼくはむしろ嬉しくなった――「嗚呼、トーキョーだなぁ!」
 ビールと灰皿を頼む。煙草に火を点けてクイッとビールを呑み、ぼくは胸の裡で絶叫した――「これぞ都会のオアシスだ!」
 うっとりしていると、「食べ物、決まった?」と訊いてくるので「冷や奴」と応えると、店員は伝票を持ったまま佇んでいる。ふと見上げると、どうやら串揚げがメインの店だったようだが、「以上で」と語気を強めておく。そのくせ2杯目のビールを頼むときは猫撫で声になるのだが!
 それが飲み終わる頃、コウジくん(以下:KJ)から電話が鳴って「やまぐくん(以下:YMG)が遅れるそうです」との報せを受ける。
 会計を済ませてアルタに向かうも、位置がわからない。東口の正面だとは聞いていたので、歌舞伎町の真逆なんだろうと思い、駅をくぐろうと見上げてみると東口と書いてあったので、振り向くとアルタがあった。アルタ、ちっちゃい!
 そして無事に落ち合った。初対面だったが、二人とも違和感はまったくなかった。
 適当な居酒屋を探すも、適当な居酒屋が適当な客の激混みで入れず、苦肉の策で『Y老の滝』に入る。正直、くやしかった――「日本のど真ん中に来てるのに、なんで?!」と。
 まあそれはいい。本質は、何を呑み喰いするのかではなく、誰と呑み喰いするかである。なんでもいいんである。
 YMGは、希に見る天然だった。
 探るまでもなく、会ってすぐに解るのだ。でなければ天然の称号を、ぼくは贈らない。
 KJは、思った通りの男だった。
 礼節を重んじ、やはり坊主で、それはマッチ棒というよりも、ヘビースモーカーと硬質で細い体も相まって、ほとんどキセルのような男だった。
 やはりトーキョーの店員は冷たい。おかわりの度にちょっとだけ嫌な顔をされる。他はいくらでもある、というのが都会なのだろう。
 YMGの“笑顔のパーセンテージ”は、皇室のそれと同じくらいだろうと思う。
 とにかく、常に笑顔なのだ。
 だからYMGに訊いてみた――「きみが怒ることってあるのかい?」
 するとYMGは「あっりますよぅ」と笑顔で応え、「足を思いっきり踏んづけてやりましたよぅ」と言った。
 うつむいて聞いていると、YMGが静かに畳かけた。
「コブシは、最終手段ですからねぃ」
 顔を上げたぼくとコウジは目を合わせた。そして無言で語った――「もしかしたらYMGは元プロボクサーなんじゃね?」
 
 KJに「そんなに短くてもシャンプーするのかい?」と尋ねると、「一応します」と言って、「でもタオルが引っかかるんスよ」と“振ってくる”ので、おしぼりを坊主頭に被せてグイグイ引っ張ってみると、かなりのグリップ力だった。それはほとんどマジックテープの雄雌の原理だった。九州男児のKJが、タオル側じゃなくて良かった。
 電車に乗ってYMG邸に向かう。
 旅のせいでテンションが上がってしまったのか、電車内で大いに騒ぎ、乗客に睨まれてしまう。
 コーエンジの、プロムナードと呼ぶのかな、そこにYMGおすすめのお店があると豪語していたにもかかわらず「あ、潰れてました」と笑顔で言い、「じゃあもう一軒ありますから」と言ったそこは既に終業しており、ぼくは本当に卒倒してしまった。
 目出度く滑り込んだお店は、良かった。「嗚呼、トーキョーだ!」と密かに感動していた。
 そこからYMG宅に向かって、いよいよ噎び啼いた。
 
 
 ぼくが触れたかったトーキョーは、まさしくこれだった。アキバもカブキチョーも、どうでもよかった。
 なんという昭和だろうか! なんというトキワ荘だろか!
 たぶんYMGは、セッティングしてくれていたのだろう、小綺麗な部屋に必要な物は音楽だけだった。YMG言うところの“グッドミュージック”という“ジャンクミュージック”を聴いているうち、KJが眠りに落ちたので、足の指をライターで炙っておく。
 そのまま朝まで、なにをしゃべっていたのか、憶えていない。
 
 
 大倉山ジャンプ台なみの急階段を降りて、
 
 
 早朝の駅へ向かう。
 すると、KJが「あ! 財布をYMGの家に忘れた!」とか言って最後の天然っぷりを発揮しやがったので、長い道のりを引き返す気力がなかったぼくは、そこで別れを告げた。いま思えば、最高の別れだった。
 
  
  コーエンジのネカフェで仮眠。
 
 そのあとは、トーキョーをフラフラしましたね。ブラブラじゃなく。