ですこブレーキ

 
 久し振りにテレビブロスを購入する。
 最近とんと現世の事象に興味がないので、特に読みたい記事があるわけでもないが、なんとなく買ってみる。同時にNewtonも買ってみる@スーパーのちんまい書籍コーナー。そしてレジでNewtonが1,000円であることに驚く。
 宇宙論を読み耽り、あまりの規模の大きさに気が遠くなる。
 ブロスの新譜欄を読む。知っているミュージシャンがあまり載っていない事実に哀しみを覚える。他の記事はまったく気を惹かないし、テレビ欄も同様だ(じゃあ買うなよ)。
 ふと星座占いを読んでみると「クジ運強し」と書いてある。
 最近、左手薬指の爪に『貰い星』ができていた。善は急げと宝くじ売り場まで車を飛ばす。
 
 ロト6の用紙をグワシと掴んで車に戻り、ちまちまと数字にマークする。外だと気が散るのだ。
 計10口と2,000円を差し出すと、「スクラッチくじはいかがですか?」と言ってくるではないか。おうおう、じゃあ2枚おくれやすと400円を上乗せして速攻硬貨で擦ると、ハズレだった。売り場のおばさんを見やると、小首を傾げて頬笑んでいる。
 ぼくは思う。スクラッチくじの営業はやめた方がいい。矛先のターゲットが近すぎる。
 
 ふわりと近くの無印良品に入る。特に欲しい物があったわけではないが、1万円遣ってしまう。でも良い物を買った。
 

 秘技“流され撮り”。さりげなく小指を立てるのがですですマナーである。
 このグラス、中空になってるんですわ。氷が溶けないし、水滴も出ないというスグレモノですよ。でもね、酔っぱらって乱暴に氷を入れて、内側が割れたことに気づかないまま呑んで、食道と胃が血みどろになることを想像すると、怖くて使えませんわ(じゃあ買うなや)。
 大きいタイプもあるので買い占めようと思っています。これホント良いですわ。安いし@400円。レコメンします(←なぜか言いたくてたまらない)。
 
 ギター落札、小躍り、即送金、即発送の報せ、待ち遠しくて小躍り。
 
 久し振りのAmazon、CD2枚、DVD1枚、文庫6冊。本はすべてドキュメント。小説を読むのは遅いが、それ以外は半日で2冊読む。新書をバカにしちゃいけないぜ。集英社のやつは結構面白い本があるのだ。
 
 
 秋葉原で起きた無差別大量殺人事件に驚き、類似した事件を想い出す。
 1999年の池袋と、同年の下関だ。
 池袋での凶器は包丁とハンマーで、死者2名、重傷1名、軽傷5名だった。
 下関は、レンタカーで突っ込んで、車から降りてから包丁を振り回し、死者5名、重軽傷10名だった。
 前者の造田博は死刑が確定し、後者の上部康明は上告したが、おそらく死刑だろう。
 犯行の日付が同じということで宅間守と比較されるが、あまり類似性はない。犯人の加藤智大がそれを意識していたのかは、まだわからない。
 造田を意識した上部は、自動車を使っての凶行におよび、宅間は「商店街をダンプカーで突っ込むことも考えた」と告白している。
 加藤の犯行はこれらを参考にしたと思われるし(トラックを使用している)、準備万端だったことは、彼が携帯サイトに書き込んだ内容で明らかになっている。
 異様だったのは、スーツ姿にスニーカーといういでたちだ。完全に運動性能を意識しているし、殺る気満々だったことが窺える。
 しかしながら、彼が書いた書き込みには不可解な部分もあった。
「使う予定の道路が封鎖中とか やっぱり、全てが俺の邪魔をする」
「これは酷い雨 全部完璧に準備したのに」
「まあいいや 規模が小さくても、雨天決行」
 これは、「誰かに止めて欲しい」という心理を表していると思う。
「やる気に満ちているんだけど、本当は止めて欲しい」という葛藤を経験をした人もいるかもしれない。けれど、これは特別な心理で、それは得てして反社会的な行動を起こすときに湧き起こる。
 
 高校生の頃、S藤というやつから電話が来た。
「不良たち囲まれている。助けてくれ!」
 S藤はやたらと気の強い男で、トラブルメーカーだった。
「逃げればいいだろ」というと、「30人くらい居るから無理だ! 早く来て!」と言い、そこで公衆電話は切れた。
 いっそ無視しようかと考えたが、やつが一人でいることを考えるとそれも無理だった。応援を頼もうかと考えたが、それも気がひけた。
 中学の修学旅行のときに買った木刀を取り出して、まじまじと見つめた。傷ひとつない。それを右手に白いビニールテープでグルグル巻いた。チビリそうなくらい怖かったが、テープを巻いているうちになぜか昂揚していた。
 木刀を巻いたまま部屋を出て居間を覗き込むと、母がテレビを見ながら笑っていた。「ちょっと出掛けてくる」と言っても「キャハハハ!」と笑っている。ぼくは止めて欲しかった。
 意を決して靴をひっかけていると、電話が鳴った。母が応対し「S藤くんから」と言って受話器を置いた。「いま行くからよ」「いやもう終わった」「なにぃ?」「知り合いの知り合いだった。じゃーねガチャ」
 部屋に戻ってハサミでテープを切り、再度「ちょっと出掛けてくるわ」と言った。母はヒーヒー言いながら笑い転げている。自販機までの道のりは、異様に興奮していた。覚悟を決めたときの昂揚と、それをやらなくて済んだ気持ちが綯い交ぜになって、大爆発を起こしていた。ファンタオレンジを一気飲みして、ぼくは自分を肯定した。
 
 あるいは、ぼくはカンナビストなので、マリ○ナを認めているんだけど、Y司は「やめろ!」と言う。ぼくがどんなに力説しても、「やめろ! 許さん!」の一点張りだ。
 彼は覚醒剤でブッ壊れた人間をたくさん見ているが、マ○ワナもそれと同じように考えているらしい。それは、うんと昔にぼくがあげたマリワ○を吸って、路上でブッ倒れたことがトラウマになっているらしかった。
 車椅子の人間が「やめろ!」という様は、なかなかに迫力があり、神々しくもある。人が本気で怒ると、誰しも恐い。そこに肉体は関係ないし、人間は心の生き物なのかもしれない。そして、怒られると、ちょっと嬉しい。暴力は、無力だ。
 
 月並みなことですが、悪いことをしている人は止めてあげなければならないし、彼らは“止めて欲しい”のです。
 でも、理解がないと、相手は反発するでしょう。ヘタしたら殴られてしまうかもしれません。けれど、やはり止めなくてはなりませんし、そこには勇気が必要でしょう。
 見ず知らずの相手を理解するためには、愛が必要ですが、愛という言葉はとても曖昧で、その中には知識や経験も含まれているのです。
 なんだか宗教じみてしまいましたが、大丈夫、ぼくは完全無欠の無神論者です。
 
 最近は派遣社員の犯罪が目立ちますが、それは搾取的資本主義による限界の発露かもしれません。物が売れないのは行き届いたからであって、不景気の仕業ではないということです。つまり、新しい価値観が必要なのであって、唯物論はいよいよ疑わしいわけです。
 今はまだいいのですが、5年後には一気に治安が悪化すると予測します。
 なぜなら、今まで甘んじていた氷河期世代ベビーブーマーたちが、四十路になり、首を切られ、街に溢れかえるからです。同時に、現在若手とされているお笑い芸人たちも、文字通りDriftersになるはずです。
 
 悲観的すぎるのかもしれませんが、なんだかそういう気がしてなりません。