年寄り日記

 
 休日がないので酒も呑まず、引きこもって本ばかり読んどります。止まんねえよ。
 来週は行けそうです。青年実業家のJ也が奢ってくれるそうです。『すし善』に行きましょう。そしてトイレに行く振りをして走って逃げましょう。その後『あれこれ屋』に行って「牛タン串」と「じゃこと高菜のチャーハン」を食べましょう。
 
名前のない女たち』に続いて、森下くるみの本を読み耽る。

すべては「裸になる」から始まって (講談社文庫)
 
 男性諸君なら知っているでしょう。
 ビデオ以外で見たのは、かつての『やりにげコージー』でしたが、ものすごく可愛らしかった。でも、ビデオではハートプレイも厭わないという、根性の持ち主でもあります。
 印象的だったのは、「精液を100人分飲んだ後に出たウンコが白ヘビみたいだった」という記述でした。おえっぷ。
名前のない女たち』を読んでも判るんですが、お金のためにAV女優になった人って、さほど多くないんですよね。「じゃあなぜ?」という問いに対する答えに、人間の業みたいなものがあって、それは十人十色で、それがとても面白いんです。
 裸って、やっぱりわかりやすいんですよ。当たり前だけど、隠す物がありませんからね。守るべきものというよりも、誇れるものがなにもないことを自覚している人が裸になったときの快感って、やっぱりあるんだろうなと思います。
「お前、裸になれよ」と言われてもイヤですけど、えーい! と脱いだら、さぞかし気持ちいいだろうなと思います。
 でもですね、そこで準備しちゃだめなんです。体を鍛えていたりするとだめです。そういうことじゃないんです。男優がマッチョなのは、あくまでも彼らは脇役であって、主演の女優がスタイル抜群である必要はないわけです。
 ですから、森下くるみの“標準体型”は絶妙なバランスを保っている、と言えましょう。異質と言ってもいいです。
 しかしながら、肉体、とくにプレーンな肉体は寄る年波には勝てません。
 でも、彼女には文才があります。文才というか、視点ですね。これはたぶん天性のものだと思います。
 近い将来、小説家デビューするでしょう。
 
 つまらない小説に限って、やたらとトラウマを持ち出して取り繕おうとするんですが、それって最悪です。行動原理がトラウマしかない、という物語はそろそろやめて欲しいですなぁ。
 小説は、必ず未来に向かうものです。これは絶対にそうです。
 
 
 じじいなりに「そろそろ新しい音楽も聴かにゃイカン!」と、テレビブロスの新譜欄で1位だった『Superfly』なるバンドを検索してみる。やはしバンド名の由来はカーティス・メイフィールドだった。
 これは、B級カンフー映画のサントラをカーティスが手掛けたもので、よく「カーティスの代表アルバム」と言われるけど、それは違う。
 これだ! バカヤロウ!
 
ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ+1
 
 これを聴かずしてカーティスは語れない――と語ってもじじいの小言になってしまうので、勘弁しといたろか。
 で、ニコ動でSuperflyを観たんだけど、かっこよかった。新しいものに触れるべく接近したのに、とてもクラシックだったことに驚いたと同時に、嬉しくもあった。
 なんちゅーか、カルメン・マキというか、まあストーンズ風で、サウンドは一昔前のプライマル・スクリームに酷似していて、ラブサイケナントカ(デリコだろ)と同じ系譜だったな。“一歩間違えると浜省に成り下がる危うさ”というかね。でも、かっこよかったよ。頑張ってください。
 やっぱし、新しい音楽ってのは浮上しないんだなぁ。漂えど沈まず、と。
 そんなじじいがここ最近、毎日聴いてるのは高柳昌行です。不可解さの快感、と呼ぶべきか。
 このサイトは秀逸です。
 ⇒ 高柳昌行は日本ジャズ界に何を残したか?
 
 じじいが新しい物を探そうとすると、どうしても過去を遡ってしまうという、じじい特有の悲しい性です。ごめんなさい。