仰け反りを知らぬものたち

 
 一時間のタイマーをセットしておいたはずの扇風機が朝まで回っていて、死にかけました。鏡を見ると顔が青ざめていた。体温が奪われるというのは本当です。
 風って凄い。風になりたい? なりたいわけねーだろ。フェラチオの時に「おいしい?」って、おいしいわきゃねーだろ、と。
 
 食事制限を始めて早三週間、意志が強いのではなく、夏のせいです。
 これくらい経過すると、思考回路にも変化が見られる。自分が必要としているもの以外に興味を示さなくなるわけです。
 野菜を買って鮮魚を通り過ぎ、日配コーナーで玉子と豆腐を買い、精肉コーナーを通り過ぎてパンを買い、〆はリカーコーナー。
 しかも野菜がなくなるまで出向かないので(酒は常にストックがある)、頻度は週一くらい、ゴミは減って金は減らないという善いことづくめです。
 似非ベジタリアンになれるかもしれません。ラクなんですよ、野菜食って。
 それでもたまに食欲が突き上がってくるので、先日“かつや”に行ってきました。モーレツにとんかつが食べたかった。
 ぴゅーっと車を飛ばしてきーっと停めて勇み足で入り口に行くと『営業停止』の張り紙が。それもきったねえ手書き文字。
 店内の照明は点いてるし、客も数人いる。誰かのいたずらだろう、と自動ドアの前に立っても反応がない。赤外線の反応が悪いんだろう、と上半身をくねらせてヴォーギングをしても反応がない。仕方ないのでドアの隙間に指を突っ込んで無理矢理こじ開けると、店員が飛んできた。
「申し訳ございません! 機械が故障しまして……」
 おそらく電熱式のフライヤーが壊れたのだろう。けれど、完全なとんかつモードだったので「火はつくんでしょ?」と食い下がってみる。
 うつむいた店長らしき男はレジまで走って何かを掴み、すぐに戻ってきた。
 手渡されたのは無期限の割引券が五枚だった。そんなつもりじゃなかったのに。よほど食い気が出ていたのか。野獣顔だったのか。
 車に乗り込んで、界隈のとんかつ屋に頭を巡らせる。近場の専門店には駐車場がないし、街なかならなおさら。
 これは、完全にテンパってたのか、なぜか『みよしの餃子』へ行ってしまう。ぼんやりと、メニューにカツカレーがあったように記憶していたのだ。
 オーダーを終えて待っている間、失敗に気がついた。餃子屋でカツカレー、しかもすぐそこに『ココイチ』があるのに! なぜだ!
 カウンターに肘をついて目頭を揉んでいると、“餃子屋のカツカレー”が出てきた。
 びっくりするくらい、小さいカツだった。それをカタキのように喰ったせいで、口腔上部に火傷を負い、帰宅して口に鏡を突っ込んで見てみると、薄皮がベロベロに剥げていた。
 
 ですです教訓:みよしののカツはめちゃくちゃに熱いので注意するべし!
 
 自分が食べないので、ちょっと嫌なことを書いていいですか。嫌だと言われても書きますけど。
 以前、中国産のエビが糞尿の中で育てられているというニュースがあったけど、たぶんあれは本当です。ダンボール肉まんはヤラセかもしれませんが、エビは本当だと思います。
 これは中国に限らず、東南アジア諸国でも行われているようです。しかしながらこれは悪意によってされたものではなく、あちらでは日常風景だと聞いております。
 旅行者が入った汲み取り式の便所で、なんかぴちゃぴちゃ音がするなぁと覗いたら、真下でエビが跳ねていたそうです。
 これは考え方なんですが、そっちの方がマシかもしれません。有機野菜ならぬ有機エビです。
 なぜなら糞尿の方が手間もコストもかかるし、近年の中国では収穫を早めるために成長ホルモンを導入しているようで、それを食べた人間にも異変が現れているらしいです。
 不思議なことに、というか当然なのかもしれませんが、それを食べた人間の成長も早くなるようです。例えば四歳の幼女に初潮が来たり、六歳の男児に髭が生えたりするようです。
 これはトンデモ系の憶測じゃなくて、本当のようです。そういう情報はテレビじゃやらないし、テレビでやった時点で手遅れです。
 仮にエビを国産に限ったとしたら、めちゃくちゃ高価な食材になりますねぇ。天ぷらそば二千円とか。
 
 
 エビを書いてて想い出した。
 今はスーパーインドア人間のぼくも、少年時代は外で遊び回っていた――
 
 よく自転車を飛ばして原始林の中にある池へ行っていた。
 ゲンゴロウミズカマキリが目当てで、ジャージの裾を捲り上げて素足で池に入って行く。忍び足で進んでいかないと逃げられてしまうので、周りの友だちもみんな息を殺している。
 すると「ふへっ、ふへへへへ」という喘ぎ声が聞こえた。振り返ると、アラキというやつが顔を歪めている。人差し指を口に当ててジェスチャーで示すと、アラキも苦しそうにうなずいた。
 しばらくするとまた「ふはっ、ふへへへへへ」という喘ぎ声が聞こえた。いよいよ頭に来たのでアラキの首根っこを掴んで池からでた。
「虫が逃げるから静かにしてくれ」と言った。
 アラキは弛んだ顔のまま「だって、だって、ふへへへへ」と笑い転げている。
 なにがそんなに面白いのか理解できなかったし、ちょっと怖かった。それでも怒りの方が勝っていたので、アラキに尋ねてみた。
「なにがそんなに楽しいんだ?」
「こ、こそばい」
「え?」
「こちょばいの! 池の中は!」
 アラキは、半ば逆ギレしていた。
「砂がサワサワしてんだろ?」
「違うの! ちゅんちゅんしてるの!」
 これが狂人というやつか、と思ったことだった。けれど、アラキはめちゃくちゃに頭が良かった。たぶんアラキは本当のことを言っている。
「とりあえずもう一回いこうぜ」
「いや、おれは遠慮する」
「なんで?」
「ちゅんちゅんに耐えられない!」
 天才と狂人は紙一重ってことは知っていたが、アラキもそういう人間だったのか。
「おれ一人で入るから見ててよ!」突然アラキは言った。
 しばらくすると、浅瀬に足を浸けているアラキが振り向いて手招きした。
 アラキの肩越しから水面を覗くと、足下になにかが蠢いている。目を凝らせて見ると、十尾ほどの“透明なエビ”がアラキの指先に集っていた。しゃがんでまじまじと見たが、完全にエビの形をしている。
 こちらの気配なんぞもろともせず、透明なエビたちはアラキの足の指先を夢中で“ちゅんちゅん”していた。
 しゃがんだ体勢のままアラキを見上げると、誇らしそうに小首を傾げて、ぼくを見下ろした。
 
 アラキは元々足が臭かった。故に透明なエビが集るのではないか。そう仮説を立てて、同級生の足自慢たちを集めて、池で大会を開く運びとなった。レフェリーは無論、ぼくだ。
 未経験者がほとんどなので、まずは練習で浸からせる。
 さすがは選りすぐりの足自慢たち、透明なエビ群は吸い寄せられるように浅瀬まで集まってくる。
 いよいよ本番、ルールは簡単。誰の足に多くエビが集まったか。
 ジャージの裾を捲り上げた足自慢たちが、直立不動で池から生えている。
 数十秒後、聞き慣れた喘ぎ声が聞こえた。「ふへっ、ふへへへへ」
 秒殺、圧勝だった。
 他の選択肢を無視して、エビ群のすべてがアラキの足をちゅんちゅんした。