悪運強し

 
「唇が無傷であることに、ぼくは感謝した」――(です辞典参照)
 
 虚無、虚空、void、vain、あとはなんだ、painかな。ロバジョンはどっちだったか。
 凡ミスが多く、心ここにあらずという状態。読書にも身が入らず、音楽は文字通りBGM。しいていえば、レイモンド・カーヴァーの「ぼくが電話をかけている場所」という短編はよかった。でもそれだってアル中小説だった。
 食事はどん兵衛。蓋に『E』と書いてあれば関東風味也。お揚げを浸し、噛まずに吸う。それを何度か繰り返す。揚げフィルターがボロボロになるまで、いやしく繰り返す。空いた容器をごみ箱に叩き付ける。割り箸が床に転がる。煙草に火を点ける。紫煙の奥に見える天井のシミを凝視する。一瞬だけ龍に視えた。殻から取り出したサザエみたいな貧相な龍だけど。
 某日、突発的に飲み放題1000円を始めた友人の店に行く。それでも心そこにあらず、おかしなことをまくしたてる自分を制御できなかった。それを察したのか、T英とその彼女に首根っこを掴まれて、無理遣りカラオケボックスへ連れて行かれる。
 カラオケ自体は2年振り(最後はクローシュ)、ボックスはもう何年振りなのか思い出せない。
 そして歌いまくる。勝新太郎ばりに唄いまくる。「ろっかまいべいびい」がいい。普段は歌詞なんかどうでもいいけど、歌詞が沁みた。もちろん曲もいい。あとはやっぱり村下考蔵がいい。
 細野さんのもいいけど、西岡恭蔵さんの「ろっかばいまいべいびい」も純朴で味がある。これはYouTubeで観られるので是非どうぞ。
 
 2時散会、自転車で国道36号線の歩道をゆっくり走る。
 すると、意識が飛んだ。「大丈夫ですかー!」という声で目が覚めた。通行人はぼくの帽子を持っている。ぼくは車道で女座りをしていた。
 あの辺りは縁石が高い。それに気づかず、どうやら前のめりに大回転したようだ。クラッシュして散らばったライトの破片を、脳味噌の破片掻き集める邦山照彦よろしく拾い集めた。信号は赤だったが、タクシーに手刀を切って自転車を押す。
 徐々に痛みと羞恥心が湧いてくる。とにかく歯が“いずい”。顎も痛い。手はそうでもなかった。ジーンズに雪虫が付着。帽子を深く被り直す。冬である。
 

 不思議なのは、上顎の前歯がちょっぴりだけ損傷しているのに、唇が無傷ということだった。顎を強打したとしても、受け口でもない限り、噛み合わせ上、上顎の前歯の先が当たることはない。よくみれば、損傷部が若干黒い。アスファルトに歯から落ちたのか――まさか! 自転車のハンドルを見ると、黒い塗料が線状に剥げている。もしかしたら、ぼくはハンドルに噛みついたのかもしれない。
 ちなみに顎は今日になって鬱血を始め、ドドメ色としか言いようのない色に変化していて、とても不気味だ。
 でも、神様ありがとう。