余計でもないお世話

 
 抜け殻なのです。心にポッカリドーナッツ、シナモンツイスト(穴ないし)。
 久し振りの日記ですが、毎日たくさんの人(そうでもないか)が訪れて下さるので、申し訳ない気持ちは、あまりしていません。RSS使えや。
 年に数回ほど過去ログを貪り読む人がおられるのですが、怖いのでやめて下さい。誰だソフトバンクてめえコノヤロゥと言いたいところですが、元来weblogはそういうものなので仕方が御座いません。まあアレです、覚悟と開き直りですね。「おまえあんなこと書いてたじゃねえか!」と糾弾されても、「いまは違うから」という一言で逃げ切れますし、テキトーですわ。
 自分のブログはほとんど読み返さないんだけど、読み返すとすれば「一年前の今日は何をやっていたのか?」と思ったときで、そういうときは便利ですね。不思議なことに大抵の場合、ちょっと悲しくなるんですよ。なんでだろうと考えたら、去年母親が倒れてたのね。忘れてたわ。去年は空白というか、灰色の一年で御座いました。今年は頑張ります、ってあと二ヶ月しかねえし。なにこの物悲しさってば。ねえ、シンシア!
 
 まだちょっとグロイけど傷も治ってきまして、たぶん痕は残るだろうけど別にどうでもいいです。能動的かつ厄介な傷跡の中で最もポピュラーなのは、いわゆる『根性焼き』(ぼくらはモヤバンと呼んでいました)で、火のついた煙草の先を腕とかに押し付けて火傷させることによって自らのガッツを誇示するという、ヤンキー特有の風習です。ぼくはやったことがないのですが、カタギの人は大抵後悔してますね。
 ぼくがモヤバンをやらなかったのには理由があって、それは先輩が「絶対にやめろ!」と何度もぼくを諭したからです。こう書くとイイ話に聞こえますが、じつはそうでもないのです。
 先輩の名前はS本と言いまして、彼が中3でぼくが中2でした。S本は見た目もド派手で、校内でシンナーを吸うような諦念感たっぷりの不良でした。喧嘩は弱そうでしたが、とても陰湿なオーラを纏っていて、南米あたりのトカゲのような男でした。
 或る日、廊下に座ってダベっていると、背後から頭を小突かれました。いまではホトケのぼくも当時は気が短く、振り向きざまに胸ぐらを掴んで「殺すぞてめえ!」と怒鳴った相手が、あろうことかS本だったのです。S本は不敵にニヤッと笑って、アゴで階段の踊り場を指しました。それから約一年間、ぼくはS本につきまとわれることとなったのです。
 授業が終わってみんなで校門を出ると、シンナーの袋を持ったS本が佇んでいます。S本はぼくだけに目配せをして、みんなはそそくさと早足で逃げて行きます。あの時の気持ち、お察し下さい。売られてゆく仔牛のような、あの気持ちを。
 特になにをするわけでも、実のある会話をするわけでもなく、ぼくたちは二人で歩いていました。S本は常にシンナーを持っていましたが、ぼくはジュース(ファンタグレープ)を持っていました。それは常にS本が買い与えてくれたものでした。
 シンナーの性質上、それが透明な袋に入っていれば水分との分離が目視できますし、ましてや純水ではなくヨダレなので、残量は一目瞭然でした(唾は泡立ちます)。S本が持っているシンナー袋には、常にヨダレしか入っていないことに気づいたとき、彼が孤独であるとこを感じました。不条理に対する怒りや、恐怖もありましたが、それ以上に同情が勝っていたのかもしれません。そもそもS本には同級生に友だちがいないのです。けれど、なぜぼくが抜擢されたのかは、廊下での出来事を加味しても不可解なものでした。
 S本は、モヤバンをはじめとして様々な説教を垂れましたが、あれは一体なんだったのかと考えてみると、愛というよりもただ単に先輩面をしたかったとも思えるのですが、なぜぼくをチョイスしたのかと考えた場合、彼はぼくと友だちになりたかったんじゃないかと思うわけです。彼は恐怖によってぼくを支配しようとしましたが、そこに暴力がほとんどなかったという辺りに、悪人になりきれないというか、泣きながら木刀を振り回す学生運動ような憐れみを覚えたのでした。
 あれは夏祭りの日でしたか、みんなが楽しそうに満喫しているのを尻目に、ぼくはS本と二人でした。項垂れて祭り会場を徘徊していると、「あれ? でっくん?」と甚平を着た男が話し掛けてきました。彼はS田くんといって、兄の同級生でした。昔よく可愛がってもらった人で、所謂ヤクザです。S本はS田くんを知らないのですが、明らかに本物のオーラを放っているS田くんを見て、完全にビビっていました。
「にいちゃん元気か?」
「元気です」
 挟まれいるS本はオロオロしています。
「だれコイツ?」
「先輩です」
「ふーん」と言いながら、S田くんはS本を睨み付けました。そして「ちょっと来いや」とS本の襟首を掴んで暗い所へ消えて行きました。
 ぼくは人混みの中で首を伸ばして友だちを探しました。その後、S本がどうなったのかは知りません。
 でもS本先輩、ありがとう。ぼくの体が綺麗なのはあなたのおかげです。